今回は西武のショートの歴史を
表題のテーマに向かって1987年から追っていきたい。
黄金期を支えたショートの起用法
1987年は
故障の影響でショートとしては限界に達していた石毛がサード、
サードの秋山幸二*1がセンターにコンバートされた。
代わりに起用されたのは
二軍で好成績を残し続けていた3年目の田辺。
出場試合、打席数では清家との併用に近かったのだが
これは田辺が怪我がちだったのが理由のようで、
88年までの田辺は後半から日本シリーズにかけて
2年連続で戦線離脱している。
完全に打撃が開花した89年以降も
藤野、鈴木康、奈良原が守備固めに入ることが多かったのは、
田辺の守備評価よりも
慢性的な故障を抱えていた田辺を
シーズン通して使えるようにするためと考えられる。
松井稼頭央と坂本勇人の共通点
森祇晶監督が退任し
東尾修監督が就任した1995年。
この年から田辺に代わってショートで使われるようになったのが
高卒2年目の松井稼頭央である。
この表だけを見ると
田辺と奈良原に代えて若い松井が「抜擢された」
ようにとらえられるだろう。
だが松井「抜擢」の要因は
この当時の内野全体を見ないとわからない。
1987年以来ずっとサードを守ってきた石毛が
94年オフにダイエーへFA移籍。
しかし95年開幕の段階では
デストラーデが復帰したこともあり、
既にサードでの起用も増えていた鈴木健*2が
DHからサードへ回る形ですんなりおさまった。
ところがデストラーデは家庭事情もあって6月に退団。
辻をはじめとして故障や不調に苦しむ選手が多く、
鈴木は守備面の不安も大きかった。
内野陣の再編を迫られていたなかで
打撃が弱くセカンドも守れる奈良原に代わって
7月後半からショートスタメンが増えたのが
二軍である程度の結果を残し続けていた松井だった。
松井も一軍1年目は奈良原と大差ない成績にとどまっている。
これだと奈良原らとの併用なども考えられるはずだが、
95年オフは辻がこの年の不調と高年俸などで戦力外。
サードはクーパーを獲得して埋めていたものの
今度はセカンドが空く。
ここに田辺、奈良原や高木浩之らを起用せざるを得なくなったことで
ショート専任は松井しかいなくっていた。
以前見た坂本勇人のときと似た状況になっていたのだった。
また松井の場合は
両打ちのため左右による併用の必要性が低かったことや
盗塁を多用する当時の戦術と相性が良かったのも大きい。
松井の「抜擢」と大成は
これら様々な要因が合わさった結果だと言える。
「若いから」だけで聖域化したためではないのだ。
途切れた大物ショートの系譜
2003年オフに松井がFAでMLBに移籍すると、
2004年からは高卒4年目の中島裕之がショートに起用された。
中島は1年目は二軍でもほとんど代走、守備での起用*3だったが
2年目からは打撃が急成長し*4、
松井の移籍で満を持しての起用といったところだった。
当時、特に2007~10年には
川崎宗則、金子誠、西岡剛に大引啓次、渡辺直人と
各チームのショートが充実していたパリーグにあって、
打力の高さでチームに貢献した。
しかし1981年の石毛から続いてきた
西武のショート育成の歴史は、
中島のFA移籍で途切れることになる。
守備力の非常に高い源田が入団するまでの4年間は
トレードで獲得した鬼崎や渡辺、
若い金子侑や永江、
大学時代セカンドだった外崎や呉など
実に多種多様な選手を起用したが
打撃か守備の難が非常に多く、
併用というよりは必死のやりくりが続いた。
それまでショート育成で成功を収め続けてきた西武が
なぜこのような人材難に陥ったのだろうか。
とこんなお題を掲げると、
ほとんどの人は判で押したようにこう言うだろう。
「育成しようとしなかったからだ」
「若手の抜擢を怠ったからだ*5」
「高校生ショートを上位で獲らないからだ*6」と。
だがこのときの西武は
2つの意味で抜擢が大成功したからこそ人材難になったのだ。
1つめは中島という長く活躍する選手を輩出したこと。
2008年以降はずっとかなりの好成績を残し続けていたので
中島を押しのけて他の選手をわざわざ起用する余地はなかった。
そして2つめは浅村の存在だ。
西武は松井が抜けて中島が起用される年に
高校生の黒瀬を2巡で獲り、
さらに5年後には浅村を3位*7で指名した。
中島が抜けそうなタイミングでの抜擢が可能になりそうな
年齢バランスの完璧なドラフトをしていたのだが、
浅村が2~3年目にかけて急成長し
ファーストスタメンの座を勝ち取ってしまった。
浅村はこのあと片岡治大の抜けたセカンドに回って
NPB有数のセカンドに成長する。
このこと自体はチームにとってもプラスではあったが、
ショート育成の観点からいくと結果的には
ショートの穴を埋めたい2012年オフまでに
最大のプロスペクトがいなくなったことになるのだ。
2013年には浅村もショートで12試合*8に出場したものの
4エラーを記録しファーストに戻っている。
若手育成と抜擢の「成功」が招いた人材難
勘違いされると困るのだが、
ここまでの内容で
誰かに致命的な落ち度があったと思わないでほしい。
せいぜい
2011年時点で外国人のファーストを獲っていなかったことと
黒瀬、林崎、金子侑の育成が上手くいかなかったことぐらいで、
中島や浅村はもちろん
首脳陣、フロントの選択も
大きなマイナス点とは言えない。
ここで改めて知ってもらいたいのは、
若手の成長と抜擢は遅すぎれば当然困るが
早すぎてもチームの将来に多大な支障をきたすことがある
ということだ。
浅村は早くに一流選手に成長し抜擢も成功した。
浅村を抜擢する時期自体は間違っていない。
だがチームとしては抜擢する時期が早すぎ、
以前に書いた中日とはまた異なる形で
チームの将来設計を大きく崩す結果にもなった。
この結果をドラフト、育成の失敗と断じるのは無理がある。
特にドラフト評論家などが言いだしそうな
「浅村の後も高校生ショートを獲って一軍で使えばよかった」は論外。
2009~12年にドラフト指名された高卒選手で、
現時点でショートとして最も結果を残したのは西田哲朗、
次点は永江だ*9。
「育成を怠った」どころか
高卒2年目から一軍で起用し続けた結果がこれだったのである。
若手を抜擢することは
もともと起用されていた選手の貢献度を減らすことだから
それだけ大きなリスクをともなう。
若手の抜擢は
そのリターンがリスクに見合うと判断された時に行われるものだ。
外部の人間は
当事者がリスクを過大評価することをよく批判するが、
逆に外部の人間はリターンをやたらと過大評価したがり、
しかもリターンがリスクを下回った抜擢の記憶を
都合よく消し去ったり改ざんしたりしてしまう。
チームが若返って強くなる姿、
成長した若手の躍動する姿を
本当に見たいのであれば、
自分の要求する「抜擢」が本当に適切な時期かどうか
何度も立ち止まり感情をできるだけ排除して考えなければならない。