スポーツのあなぐら

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絶対的選手が続いた平成の巨人のショートを振り返る

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最近、
「大物ショートは何歳までショートでプレーできるか」が
話題に上ることが増えている。
その根底にあるのは
バッティングでは全盛期を迎えている反面
年齢とともに故障が増えてきた坂本勇人の耐用年数だろう。
しかも巷では「坂本の抜擢」の経緯が
「首脳陣が絶対的なショートだった二岡智宏と坂本を
強制的に入れ替え、我慢して使われ続けた」
と広まっているため、
こうした「坂本の例」を理由に
強引な若手の起用と聖域化を求める声はやたら強い。
おそらく巨人も例外ではなくなるだろう。
今回はこの巨人のショートの歴史を振り返ってみたい。

 

 

川相から二岡へ

平成の巨人は野手陣の大コンバートから始まっている。
藤田元司監督二度目の就任となった1989年、
開幕戦ではそれまでサードの原辰徳がレフト、
鴻野淳基勝呂博憲らとの併用が続いていたものの
ショート一番手だった岡崎がファースト、
ファーストの中畑清は8年ぶりにサードへ戻り*1
ショートには勝呂が入った。
しかし中畑が怪我で離脱し勝呂は不調。
その中で最初対左要員として併用されていた
高卒7年目25歳の川相がスタメンに定着する*2

Gショート88-08

世間では
「バント主体の典型的な二番打者」のイメージが
先行しやすい川相だが、
バントや流し打ちなどのチームバッティングばかりじゃなく
単純にリーグ平均程度の出塁と長打力も備えていた。
その川相も32歳ごろからやや衰えが見え始める。
そこで98年に逆指名争奪戦を制して二岡を獲得し、
1年目からレギュラーとして起用していった。
ただこの二岡も2、3年目*3は成績が上がっておらず、
完全に活躍し始めるのは2002年から。
全盛期は26歳からだったわけで、
このあたりは川相とほぼ同じだ。

 

坂本がショートに固定された経緯

その二岡から現在の坂本に代わったのが2008年。

Gショート08-19

この坂本の場合は23~27歳がやや停滞期にあたり、
さらに進化したのは28歳になってからである。
停滞期でもリーグ平均を悠々上回る時点で驚異なのだが、
年齢的なサイクルが存在している点は
他の選手と変わらない。

それにしても2008年の巨人は
まだそこまでバッティングが衰えたように見えない二岡を
高卒2年目の坂本に切り替えたのだろうか。
考えられる主な理由は二つ。
まず二岡のショートとしての評価が高くなかった。
小坂が加入した2006年からは顕著で、
二岡がショートで
2006年に144試合、2007年139試合出場*4しているのに
2006年の小坂はショートで27試合、
2007年にいたっては51試合に出ている。
さらに2007年は古城も13試合。
いくら球界屈指の名手と名高い小坂がいて
2007年のチームが好調だった*5とはいえ、
守備固め、代走を送られた回数がやけに多い。
もともとの守備力に対してか相次ぐ故障の影響かはわからないが、
二岡のショート守備は
首脳陣から限界と考えられていたように見える。

しかしそれ以上に重要なのは2008年の内野手事情だ。
開幕戦の内野手はショート二岡でセカンド坂本、
サードは小笠原道大、ファーストが李承燁だった。
ところが二岡が開幕戦で離脱、
李も絶不調で4月途中に二軍へ降格する。
ここは坂本をショート、
小笠原をファーストに回して対処するが、
さらにセカンドへ入りまずまずだった
ゴンザレスがドーピング問題で5月下旬に解雇。
スタメン内野手が次々と戦線離脱する緊急事態が発生していた。
なんだか1989年と似ているな。

このような状況の中で復帰する二岡をどこで使うか。
二岡の二軍復帰は6月末。
6月終了時点での小笠原以外の主な内野陣はこうだった。

2008G内野手6月


2008G内野手月別

セカンドには5月にサードで絶好調だった木村が回っており、
制約の多い二番でもこの成績ならまずまず。
よって開幕戦のショート二岡、セカンド坂本は考えづらい。
サードは脇谷も二軍に降格しているため
ショート守備要員でもある古城と寺内で何とか持たせている。
考えてほしい。ここで
ショートが重荷になっている故障明けの二岡をショートに戻し、
サードでは前年二軍サードの守備率.864*6の坂本と
内野ユーティリティの古城らを併用するのか?
前年にも4試合サードに入っている二岡がサード、
坂本や古城をショートで使うほうが自然だろう。
つまり
この図式は「坂本vs.二岡」でははかれない。
むしろ「坂本vs.古城vs.寺内etc.」のポジション争いだったのだ。

さらにサードで調整していた二岡は
諸事情で復帰が遅れた。
その間に古城は調子がいまいち上がらなかったが
坂本はバッティングの調子を上げ、
スタメンショートの座を不動のものにしていく。
もし二岡が早く戻ってきて
なおかつ7月も坂本の調子が悪いままだったら、
さすがに坂本、古城らの併用になっていたと思う。

 

坂本に学ぶ若手の抜擢に不可欠な要素

このように坂本は
もろもろの偶然が重なり
生まれたチャンスを最後に実力でモノにできたからこそ、
ショートに定着することになった。
若手至上主義者がよく言うように
「若いから」「高卒だから」だけの理由で
聖域化されたわけではない。
だが世間一般では
「期待の若手が大物のスタメンを与えられた」ことにしたいのか
たとえば開幕戦から坂本がショートスタメンにされたり
二岡の復帰を遅らせた諸事情の発覚が開幕前にされたりなど、
少し調べればすぐわかることですら
間違って広まっている。

若手の抜擢に必要不可欠な要素は二つ。
実力と運だ。
一軍である程度の結果を出せる実力を
身につけるのは当然のこと。
だが「実力」は相対的なものでもある。
若手が一軍レベルの力をつけたとしても、
同じポジションに彼よりはるかにレベルの高い選手がいれば
そちらが使われるのは当たり前。
チーム内で他より力の劣る若手を
「使えば伸びる」「使ってみないとわからない」と
何年も聖域化させるのはただの敗退行為の強制である。
使われるためには
現在のレギュラーの力が衰える、故障で離脱するなどで
その若手の実力がチーム内トップになる必要がある。
これだけは本人の努力ではどうすることもできない。
だからこそ実力だけじゃなく運も重要なのだ。

 

「次のショート」に今年変えるべきなのか

今年の巨人はどうだろう。
現在評価が急上昇している湯浅や増田大は
「坂本と同じように」スタメンに居続けさせるべきだろうか。
今年27歳の増田大は
年齢的にちょうど全盛期に差し掛かってくるころなので
バッティングが覚醒する可能性はある。
一方、高卒3年目の湯浅は
昨年の二軍成績がイースタンの平均を大きく下回っている。
その選手が翌年いきなり一軍レベルで通用する成績を残すだろうか。
練習試合では調子がいいが
公式戦だとどうなるかはいささか疑問が残る。

ただ彼らをショートで使うと坂本を使う場所がない。
坂本は二岡よりも他のポジションの経験が少なく、
ショート定着以降は2013年にファーストへ3試合入っただけだ。
サードは外部の「岡本和真を固定しろ」の主張がうるさく、
「坂本と同じように若手と入れ替えろ」と言う人ほど
その傾向は顕著だ。
あとは現在中島宏之が一番手のファーストだが、
ファーストだとショート坂本の利点が
相対的にかなり減ってしまうのが痛い。

もう一つ難点をあげると
今の巨人では湯浅や増田大の打順が二番になるのもこわい。
巨人でも昨年の坂本がその固定観念をいくらか取り除いたものの、
一般的に日本の二番打者はとかく制約の多い打順とされている。
そのためか選手、特に若手を二番で起用すると
打撃成績が低迷することが多いのだ。
実はこの一例は既に示してある。
そう、2008年坂本の二番出場は24試合。
全て最も成績の悪い5月だった。
この間犠打は11を記録したがヒットは減り、
長打はHR1本のみ。
二塁打を打ってないのは5月と
試合数の少ない10月だけだ。
このように若手の二番打者での起用は
往々にしてかなりの重荷になることがあり、
彼らがこの弱点にはまってしまうと
巨人を長く支えてきたショートの利点が
ますます失われてしまう危険をはらんでいる。

一方で20歳前後の選手の抜擢を後押しする理由もないではない。
まずは二岡と同様に坂本も故障が増えてきていること。
打撃も守備もNPBトップクラスの力を持つ坂本だが、
ただでさえショートでは限界が近づく年齢なのに
怪我がその限界をさらに早める可能性はある。
もう一つは巨人ならではの特性「金満」。
トップ選手に対して充分な年俸を支払えるので、
我慢して使い続けた若手が
ようやく実力を発揮しだした20代後半でFA権を取得しても
MLB以外への移籍確率が極めて低いのだ。
ただ、一般的に打撃が停滞しやすい20代前半に
守備力や走力でかなりの貢献をできないと
チームにはマイナス点にしかならないから
かなり難しいところではある。
もちろんチームに利益が少なくても
その若手がチームNo.1の選手なら話は別だがね。

*1:中畑がサードからファーストへ回ったのは藤田監督1期の1年目

*2:この年の内野は最終的にファースト駒田徳広、サード岡崎になった

*3:2001年は.620

*4:先発出場は2006年144、2007年138試合

*5:リードして終盤を迎えるため打力より守備固めを優先しやすい

*6:8試合で3エラー