スポーツのあなぐら

主に野球のデータ、ドラフトについて書いていくブログ。更新頻度は気まぐれ

ロッテのショートに学ぶ「若手抜擢成功」の代償

スポンサーリンク

今回は
開幕前に平沢大河の二軍スタートで激怒する人が後を絶たなかった
ロッテのショートの歴史をたどってみよう。
一応鳥谷敬の一軍スタートとセットで叩く人が多かったが、
今までの平沢への期待の声を考慮すると
鳥谷が二軍スタートでも
やはり激怒する人の数は変わらないんじゃないだろうか。
最近は茶谷健太、西巻賢二、福田光輝など
20代前半の若い二遊間をかき集めているが、
それでも平沢の一軍スタメン固定を要求する
外部の声はかなり強い。

 

 

試行錯誤から守備名人の時代へ

ロッテのショートは
長く固定される選手がいる時代と
固定はできず何人かが併用される時代に分かれる。
…「どっちかに決まってるだろ」て言うな。

ロッテ1988-2001

今回のリストは1988年からだが、
まずこの直前が「固定時代」になる。
高卒4年目でスタメンに定着した水上が
10年間ほぼ固定されていた。
OPSがリーグ平均を上回ったのは26歳のときだけだったものの
毎年HRを10本程度打っている。
この水上が89年にサードへ*1回り、
バッティングでは水上を上回っていた佐藤がショート一番手になった。
ここから「併用時代」に入り、
基本は佐藤から南渕へ変遷していったが
森田、トレードで加入したベテランの高橋や宇野なども交えた
試行錯誤が続く。
95年には既にセカンドで数年活躍していた堀と南渕を入れ替え。
打撃がやや伸び悩んでいた堀はここで一段進化し、
ショート時代の2年間がちょうど全盛期となった。

そして97年。
ルーキーの小坂が高い守備力と走力を武器に
開幕戦からスタメンを勝ち取る。
ここから小坂固定の時代。
バッティングは打率と長打が高くなく
OPSがリーグ平均を大きく下回っていたものの、
四球は多く出塁率が悪くなかったので
走力も存分に生かすことができたようだ。

 

「抜擢」は成功したけれど

ロッテ2002-10

小坂は故障を抱えながらのシーズンも増えていき、
2002年と04年には長期離脱も経験した。
代わりに起用された選手のうち
内野全般の守備要員でもあった
2002年の渡辺*2は結果を出せなかったが、
2004年に起用された高卒2年目の西岡は打撃でも結果を残し
一軍に定着した。

西岡がなぜ起用されたか考える場合、
OPSだけを見ると少しわかりづらくなる。
2年目の西岡は二軍で197打席に出場し
打率.263、HR2で長打率.356。 25三振だったが四球が34を記録した。
高卒2年目に二軍100打席以上出場した選手で
リーグ平均近いかそれ以上のOPSを残しつつ
四球が三振を上回ったのは
1997年以降西岡と山田哲人の2人しかいない*3
高卒1、2年目に一軍固定されていなかった選手の中では
極めて希少な存在だった。
また両者が早くに別ポジションで成功したため注目されないが、
2002年に西岡を獲得、育成したことで
2001年に上位指名された高卒の今江敏晃
わずか1年でショートから追いやられた形になっている。

2位ながら日本一になった2005年は
西岡、小坂と36歳になったセカンド堀の3人が
二遊間で併用。
どちらかといえば打線自体には両打ちの西岡が固定され、
左の小坂と右の堀の起用次第で
セカンドとショートどちらかに西岡が入る形だった。
西岡がショート固定になるのは
小坂がトレードされた翌2006年から。

西岡は他の選手にあるはずの20代前半の停滞期がほぼない。
2005(.714)、06年と順調に成長し、
2008、10年にはさらに1ランクずつ進化した。
坂本勇人並の「抜擢」大成功例と言っていい結果になったのだが、
ここで坂本にはない出来事が起きた。
メジャー志向の強かった西岡が
一般的にはむしろこれからとなる26歳で
ポスティング移籍したのである。

高卒至上主義者からすれば
24~6歳の選手が強制的に20歳前後の選手へ代えられるのは理想形
気分がいいかもしれないが、
若手の自転車操業を強いられるチームはしんどい。
使っていた若手が出ていくのと同時に育成が成功していなければ
戦力の大幅低下になってしまうし、
育成を補うためにドラフトで大学生や社会人を獲れば
「目先のことしか考えず育成を怠った」
「ファームに力を入れていないドケチなチーム」などと
方々からボロクソに叩かれ、
悪評を植え付けられてしまうのだ。

現実のロッテは
特に西岡が一軍定着した後、
彼の数年後の移籍にかなり備えていた。
西岡と同期の早坂を二軍で使い、
高校生では細谷や(大嶺)翔太、
社会人からは大学までショートだった荻野貴司をドラフトで獲り、
さらに大学時代はセカンドだった根元を
ショートでも育成するなど
様々な手段を用いているのがわかる。

ロッテ2011-19

おそらく西岡が移籍した時は
この年怪我で離脱するまで大活躍だった(.800)荻野、
2008年にセカンドで活躍した根元(2008年.799)、
二軍で結果を出していた細谷がいたので
何とかなるとの目算だったと思われるが、
2011年開幕スタメンだった荻野の長期離脱や
根元らの守備面の課題などもあってか
いまいちうまくいかなかった。
2012年の根元は打撃で貢献していたものの
少なくとも首脳陣は厳しいと考えていたのだろう。
2013年途中から
根元がセカンド、セカンドの井口資仁がファーストへ回り、
代わりにショートで起用されたのが
大学では4年からショートを任された*4鈴木だった。

鈴木はバッティングはまずまずだったのだが
こちらも守備に難があり、
2017年からセカンド、サードへコンバート。
代わりは
「1年目の2016年からすぐショートの座を奪い取れる」と
巷で評判の高かった平沢
…はまだうまくいかず、
現在は藤岡がショートスタメンに定着している。
今も期待の大きい平沢の一軍成績を右に載せたが、
結局のところ
ショートメインで出場した年に
競争相手の藤岡や三木の成績を大きく下回っているのが
スタメン定着できない理由の証明になっている。

しかし平沢はなぜ1年目から鈴木の一軍ショートの座を奪い取れると
断言する人が多かったのか。
いくら試合数が少なく故障を抱えていたとはいえ、
夏の県予選とU-18代表では
鈴木の一軍OPSを下回っていた
のにだ。
高校野球プロ野球よりレベルが高いとでも言いたいのだろうか。
単に成績は見ずに心の眼で判断しているのか、
あるいは「使えば伸びる」が
高校野球の魔物に食われた自分の免罪符になっているのか。
改めて考えてみると本当に変というか異常な話である。
一方で2、3番手以降のショートとして
チームに不可欠な存在にまでは成長したので、
一部で見られるような
「今年スタメン定着できなければ戦力外」も
考えづらい話*5だ。
現状だと平沢、茶谷、福田、西巻の年齢が非常に近いため、
彼らの全盛期が訪れる3、4年後に
激しいレギュラー争いが展開されると思われる。
あとはそれまでにどこの一軍ポジションが空き、
誰がそのポジションに回っているかだ。

*1:サードの西村徳文がセンター

*2:計106試合159打席.554。高卒5年目23歳、1997年ドラフト1位

*3:平均を大きく下回っていた選手も石井義人(.645、平均.733)のみ

*4:3年時まではサード、1年上の林崎遼がショート

*5:こちらはこちらで常軌を逸した批判である。指名当時からの過剰な期待がこの憎悪につながったのだろうか