スポーツのあなぐら

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ドラフト候補「斎藤佑樹」を検証する

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先日、
北海道日本ハムファイターズ斎藤佑樹投手が
現役引退を発表した。
高校、大学では
ハンカチフィーバーで大人気だった一方、
プロ入り後は
活躍期間が短かったこともあって
毀誉褒貶の非常に激しい選手でもあった。

さて今回は
そんな斎藤投手のアマチュア時代、
ドラフト候補としての斎藤佑樹について
スタッツの面から迫ってみたい。

 

 

斎藤は高校でプロ入りすべきだったのか

斎藤に対しては
「高校を出て即プロ入りすればプロで大活躍できたのに」
と主張する人が非常に多い。
高卒でプロ入りするか大学へ進むかは
あくまで本人の選択だから
外部の人間がどうこう言えることではないのだけども、
あえてこの問いについても考えてみよう。

斎藤・甲子園

斎藤といえば
何といっても早稲田実業が優勝した2006年夏の甲子園
69回を投げ抜いて78奪三振
三振率などは
決勝で投げ合い
この年の高校生ドラフト一番人気でもあった
田中将大をも上回る数字を残した。
ここだけを見ると
なぜ高校を出てすぐプロ志望届を出さなかったのか
と言いたくなるものわからないではない。

一方で不安材料としては
夏甲子園以外が
そこまで良かったわけではない
点だ。
センバツは準決勝まで進み
大会No.1エースとして脚光を浴びたものの
三振率はあまり高くなく、
夏の西東京大会では
四死球がそこそこ多かった。
この予選は
四球ではなく死球が多かったという話もあるので
正確な数字ではないが、
夏の全国が急激に良くなりすぎていることはわかるだろう。
斎藤自身が
自分の実力に不安を持っていたとしても
なんら不思議な点はないのだ。

なので
「斎藤は高校でプロ入りすべきだったのか」
という疑問については
スタッツの面から見ても
「どちらでもいい」「本人の意思次第」
としか回答しようがない

 

東京六大学の成績から見えてくるもの

次に早稲田大へ進学してからの
斎藤の成績を見てみよう。

斎藤・東京六大学

三振率や三振の比重が高いスタッツでは3年春、
他の部分では1年秋が
斎藤にとってのベストシーズンだったと言える。
その一方で
3年から4年にかけての斎藤は
徐々に成績が下降しており、
3年次と4年次を春と秋に区分けすると
防御率以外のスタッツが悪化傾向にあるのがよくわかる。
2010年のドラフトでは
高校、大学の中で見せてきたポテンシャルや
斎藤自身の人気もあって
4球団が競合したものの、
早稲田大のチームメイトで抑えを務めていた大石達也
6球団競合の一番人気だったことを見るに
プロ側も斎藤の将来に不安を持っていたのだろう。
その不安要素は
大学での成績にもしっかりと表れていたのである。
大野雄大の故障や澤村拓一の逆指名がなければ
1位入札はどのようなばらけ方をしただろうか。

ただ、巷でしばしば言われる
「大学下級生での多投が原因でつぶれた」
は根拠に乏しい。
大学公式戦での最多投球回は
全国大会を含めても125 1/3回。
4年間で極端にイニング数が多かった年もない。
対して高校3年生の2006年は
二度の甲子園と夏予選だけで149 2/3回、
秋に行われた国体を含めると
176 2/3回も投げている。

 

斎藤佑樹斎藤佑樹たらしめた要素

このように
高校、大学ともに
不安材料が決して少なくはなかった斎藤佑樹
しかし
そんな斎藤のもう一つの魅力、
それはスター性ではないだろうか。

斎藤・神宮全国

全国大会で驚異的な強さを発揮するのが
斎藤という選手だった。
全国出場自体は
リーグ戦でも好調だった1、2年次と
ドラフト後に行われた4年秋だけだが、
1年春に全国制覇を果たし
その後も安定して好投を続ける斎藤の姿は
2006年のセンバツから
形成されていったイメージを
さらに確固たるものにするには
充分だったと思われる。

おそらくだが
この中でもとりわけ魅了されたのは
敗戦投手がつかないことではなかったか。
単純にスタッツの視点で見たとき、
「勝利投手」「敗戦投手」は
何の意味があるかよくわからない指標にすぎない。
しかし別な見方をするとどうか。
まず「負け」がつかないのは
勝ち運に恵まれた存在ともとれる。
そして
失点したとしても
味方打線のあげた得点より点を取られることが
ほとんどなかった*1のは
エース投手相手にも負けることがない
昔ながらの「エースのあるべき姿」に、
そして将来の球界のエース候補
映ったのではないだろうか。
そんな斎藤のスター性と勝ち運は
シーズン中の不調から見違えるほどの活躍を見せた
4年秋神宮での有終の美として発揮され、
プロ直後に導入された統一球の影響もあってか
最初の2年間での11勝(14敗)まで持続した
と言えるのかもしれない。

 

最後に斎藤投手、お疲れさまでした。

*1:リードされて降板したのは0-3でマウンドを降りた2007年秋2回戦の九州産業大戦のみ。つまり他の試合は最大2失点、同点や1点リードでの降板も多い