スポーツのあなぐら

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中日ドラゴンズは「5年後・10年後を見るドラフト」をすれば暗黒期を免れたのか

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2013年からの11年間でAクラスが
CSのなかった2020年しかない
深刻な暗黒期に見舞われている中日ドラゴンズ
その原因を
落合監督就任後の高校生指名の少なさに求め
「5年先、10年先を見据えた指名をしなかったからだ」
という批判はもはや定番になっている。
昨年出版された
ドラゴンズの元スカウト部長中田宗男氏の著書でも
同様の後悔の言葉が散見され、
特に2015年の章では
「『5年先、10年先が心配だ』ということが現実になっていた」
と記されている。

もっとも
このブログでも何度か見てきたように
「5年先、10年先を見据えた指名」となるのは
「5年後、10年後に活躍する選手」を獲得できるかどうかであって
高校生を大量指名しなければならない理由はない
のだが、
「『10年先を見た指名』をしなかった」と
言われた場合の「10年先を見た指名」とは
ほとんどの場合高校生、特に高卒野手偏重の指名を指す。
それだとさすがに説明しようがない状況だと
次点として「高卒投手が少ない」と言われることもあるが、
基本的には高卒野手中心のドラフトが叫ばれる。
中田氏も高校生の指名をかなり好む方なので
おそらく意味合いはほぼ同じだろう。

D指名数

2003年以降の高校生野手の支配下指名は
2014年までの10人が全体10位、
2023年までの20人も10位タイとたしかに少ない。
ただし上位指名*1だと
それぞれ5位タイ、6位と少なくなく、
さらに統一ドラフトの1位指名となると
マリーンズ、カープと並ぶ2位タイの4人、
1位1回目の入札回数5回もジャイアンツと並ぶ2位タイ*2である。
ちなみに高校生投手は
2014年までが4位タイでセリーグ1位タイ、
2023年まででは2位タイだ。

そんなドラゴンズは
「『5年先、10年先を見据えた』高卒野手」を指名していれば
打線が低迷せず暗黒期にもならなかったのか。
検証していこう。

 

 

2003~2004年:2年間に誰を指名すべきと言えるのか

まずは落合監督就任が決まった2003年と2004年。
先に結果的な結論から言うと、
この2年間は高卒野手をもっと指名すべき理由がない。
のちに活躍した選手があまりにも少なすぎる。
おそらくドラフトの歴史上でも屈指の
高卒野手の外れ年だからである。

2003H

右の数字はOPSをリーグ平均で割ったもの。
あくまで参考程度に。
2003年指名からスタメンの戦力になったのは明石だけ。
バッティングで突出した成績を残す選手ではなく
どちらかというと
内野のユーティリティとして
空いた穴を埋めていった選手だ。
二番手にくるのは
守備・走塁要員として一軍に定着していた城所か、
控えの外野兼代打要員だった堂上剛裕あたり。

2004H

2004年指名もかなり厳しく、
早くに一軍ショートに抜擢された石川以外には
あまりスタメンになっていなかった江川がいるだけ。
甲子園で大活躍し
当時は1位候補の呼び声も高かった鵜久森などは
なかなか一軍に定着できず、
石川も一軍ではかなり苦戦していた。

ちなみに2004年の1巡で
もしスカウト部長の希望通りに涌井秀章を指名していたら
10年後や2015年以降の投手陣は安泰だったか。
残念ながらこれも「まずない」と言える。
この年の2巡でドラゴンズは中田賢一を指名。
その中田は2013年オフにホークスへFA移籍したが、
ちょうど同じオフに
涌井もマリーンズへFA移籍したからだ。

 

2005~07年:分離ドラフトゆえに生み出された当たり年

2005年から07年までは
「高校生」と「大学生・社会人」のドラフトが分かれる
分離ドラフトの時代である。

 

2005年

2005年はその前の2年とは打って変わって
高卒野手の大当たり年である。
陽仲寿(岱鋼)、炭谷銀二朗、岡田貴弘
宇部(赤見内)銀次、川端慎吾など
多数の大当たり選手が輩出された。
「ならドラゴンズも高校生ドラフトで野手を獲っていれば」
という人も多いだろうが
そうは問屋が卸さない。
理由は二つ。

2005

一つは指名順にある。
ドラゴンズは3巡で春田を指名したが
銀次と川端は既に指名済みで
外れ1巡の岡田も当然指名不可。
春田より活躍した選手は
4巡にも何人かいるが
バッティングで長く結果を残した選手はおらず、
貧打解消という点では
チームに貢献できるとは言い難い。

そしてもう一つの、もっと大きな理由。
一部の中日関係者やファンは認めないのかもしれないが、
2005年のドラゴンズが
この年トップクラスの当たり選手を獲得しているからだ。

2005H

通算HR数だと100本近い差をつけられているものの、
通算成績では
トップの岡田と2位の平田に
ほとんど差がないのである。
ライトの平田とレフト、ファースト中心の岡田なので
ポジションや守備力の補正も加えれば
差はもっと縮まるかもしれない。
しかもその主な活躍時期は
6年後から14年後の2010年代全般にわたる。
この年のドラフトで
これ以上は望めないほど
高卒野手の恩恵を受けたチームの一つがドラゴンズなのだ。

 

2006年

この年も高校生野手は大当たり。
そのうち通算の打撃成績が優秀なのは
坂本勇人梶谷隆幸會澤翼福田永将の4人だ。

2006H

実働期間がやや短いのが難点だが、
ドラゴンズはこの年も
高卒野手上位の当たり選手を獲得、育成している。

1位で獲得した堂上は
結果的にバッティングが育たなかったものの、
ドラフトの時点では坂本を上回る高校生野手No.1評価。
しかもドラゴンズにとっては地元枠ということで
指名しないわけにはいかなかった選手である。
「坂本を獲得していれば」と
後から結果論で批判するのはたやすいが
坂本を獲るには単独指名しかなく、
最も評価の高かった堂上から「逃げ」なければならない。

2006

抽選を外したとしても
同じく堂上を入札したタイガースをはじめ
他のチームが
ドラゴンズよりも先に坂本を指名する可能性は高かった。

もう一つ重要なのが3巡指名。
ドラゴンズの3位では
既に梶谷と會澤が指名済みで、
この後に指名された高校生野手は少ない。
そしてドラゴンズは
残った選手の中から
圧倒的に優秀な選手を指名し育成した。
つまりドラゴンズはこの年の高校生ドラフト
可能な範囲では非常に優れた指名をしていたのだ。

 

2007年

2007年の中日は
佐藤由規岩嵜翔の2人に入札するも抽選を外し、
高校生は投手2人の指名で終わった。

2007

2007H

打撃成績ではこの3人が抜きんでている。
中田と丸は
ドラゴンズにとっては1位でしか獲得できない。
中村はドラゴンズの後に指名されたので
この点は痛恨と言えなくもないか。

なお、この3年間の高校生ドラフトにおいて
1巡で3年連続野手を獲得したチームはなかったが、
コンバートがあったため
最終的に
唯一3年連続で1巡が野手だったのが中日ドラゴンズだった。

 

「10年先の未来」が見えない高卒スラッガーの1位指名

2008年

2008

分離から統一ドラフトに戻った2008年のドラゴンズは
1位入札をめぐって
野本を推す監督と大田を推すスカウト部長が
激しく対立したことで知られる。
最終的に
大田が野本よりもはるかに一軍で活躍したのは事実だが、
「大田を指名していれば暗黒期は免れたか」については
疑問点が三つある。

2008D年代表

この年のドラゴンズの
27歳以下の年代表はこうなっている。
一軍の主力が28歳以上ばかりで
100打席以上出場した27歳以下は平田だけという状況だ。
ここに野本を獲得した場合と
大田を獲得できた場合とを考えたとき、
外野は二軍に藤井など
年齢の近い中堅選手が何人かいるので
たしかに指名に疑問符はつく。
一方の大田は
二軍の全く同じポジションに
高卒2年目の堂上直がいる。
どちらも高校時代はショートだが
プロではサードのスラッガーと見込まれており、
堂上直は2010年途中まで、
ジャイアンツでの大田は2011年途中まで
二軍でサードとして育成され続けた。
一方の野本の場合は
同じ左投げ左打ちの大島を翌年狙ったとしても
この2人は
社会人の時点でライトとセンターなので
ポジションが完全にかぶっているとは言えない。
後付けの結果論で述べるにしても
野本の対抗馬は藤井や平田のほうが
適切と思われるし、
大田を獲得できた場合に
堂上直をどう二軍で育てるつもりだったのか。
たとえ
「怪我の影響*3スラッガー候補としてはとっくに見切りをつけていた」
という非情なものであったとしても、
この若手の育成するポジションを消す問題については
当時の回想を聞きたいところだろう。

2008H

二つ目がこの年の高卒野手の結果。
実のところこの年の高校生野手は浅村一強で、
大田と中村に関しては
10年が経過した前後で
バッティング面での進境が見られたものの、
「10年先を見た指名をしていれば…」と言っていた
2015年前後だと貧打解消の立役者にはなりえない状況である。

そして三つ目は
2005年、2006年の結果と見比べてほしい。
大田は2011年途中にサードから外野へコンバートされ
ファイターズ時代はライトかレフトでの起用がほとんどだが、
ライトの平田、レフトが多かった福田と
全盛期がほぼ一致している。
つまり大田を獲得したとしても
この3人のポジションが一つ足りなくなるだけ、
しかもその対抗馬は同じ高卒の外野手なのだ。
ちなみにジャイアンツ時代の大田も
プロ入りが同期の橋本と立岡が対抗馬になっていた。
大田を入札して3球団競合に勝てたとしても、
結局のところは
外野の守備力が福田より少し上昇するぐらいの効果しか
なかったのである。

 

ピンポイントの上位指名が必須な「10年先の指名」

2009年

この年は
6球団競合の高校生・菊池雄星に入札した時点で
高卒野手の当たり選手をあきらめなければならない年である。

2009

2009H

大当たりと言える筒香に守備力の高い今宮は
1位入札をして競合に勝たねば獲得できない。
地元中京大中京出身の堂林も
ドラゴンズの指名順では外れ1位まででしか獲れない選手で、
2012年以外の2010年代は低迷していた。
ドラゴンズ2位指名の時点で
2年以上戦力になった高卒野手は
タイガース6位の原口しか残っていない。

 

2010年

2010

2010H

2010年も
ドラゴンズの2位指名時点で
山田と西川が既に指名されており、
通算打席数の多い高卒野手は
育成枠で指名された牧原と甲斐しか残っていない。
打撃成績がそこまで良い2人ではないので
貧打の解消につながるかどうかも疑問だ。
中谷は20HRを打った2017年以外の年が苦しい。
大学生だと柳田悠岐秋山翔吾が獲得可能だったが
のちにどれだけ大物になる選手でも
大卒の指名は
「5年後・10年後を見据えた」とは言われないので
ここでは考えない。
しかも1位指名は
この年最高クラスの先発の1人である大野。
「山田と地元の千賀滉大を指名しておけば」と言うのは
さすがに結果論すぎる。
またこの年2位で獲得した吉川大幾は、
当時は「立浪二世」と呼ばれ
ドラゴンズのスカウトも非常に熱心だった選手。
2010年の結果は
そんな「10年先を見据えた大物」を獲得した結果でもある
のだ。

 

2011年

2011

2011H

2011年のドラゴンズは
3球団競合の高橋を抽選で引き当てた。
高橋は現状だと
ドラフト時点での期待度を
大きく下回る形になっているが、
一応この年の高卒野手中3番手にはつけている。
近藤と桑原が3位以下から大成しているため
指名を逃したのはもったいない気もする一方で、
この2人と2022年に活躍した松本が
キャッチャー、ショートから外野へコンバートされている点は
考慮に入れておくべきだろう。

 

2012年

2012

2012H

鈴木を獲得、育成できなければ
高卒野手がかなり厳しいことになるのがこの年。
大谷翔平
5年後には日本を離れる選手なので考慮していない。
他に出場機会の多い選手では
田村が守備型で北條も伸び悩んだ。
そして鈴木と北條は
ドラゴンズの場合1位でしか獲得できない。
地元出身の福谷と
地元高校の「高校BIG3」の一角である濱田が
既定路線となっていた状況では
鈴木の獲得はちょっと厳しい。

 

2013年

2013

2013H

2013年も
森を1位入札して抽選に当たらなければ
高卒野手指名が貧打の解消には結びつかない。
守備型の若月や
早くに一軍で活躍し始めたものの
24歳以降成績が落ち込んでしまった上林。
ドラゴンズにとって地元枠だった関根は
まだ一度も一軍平均を超えたことがない。
渡邉は今のところ
戦力になった時期が阿部寿樹と完全に被っている。
大当たりの森にしても
最初の数年はDHでの出場が大半で、
大学では強打者として知られたものの
逆にキャッチャーとして使われ続けた結果
バッティングが落ち込んでしまった杉山のことを考えると
ドラゴンズやセリーグで大成できたかどうかは
疑問も残る。
また若月は
中嶋監督が就任し
5歳上の伏見寅威のスタメンが激増した年から
打撃成績が向上
している。

 

2014年

2014

支配下で高校生を1人も獲らず
成功する選手もほぼいない大失敗の年で、
しかも高卒の有名選手が多いため
「即戦力を無視して高校生を大量指名しておけば」と
言う人はかなり多いだろう。

2014H

1位で岡本、2位で宗か栗原を獲得することは可能だが、
3位以下では
今のところバッティングが成長した高卒野手はいない。
早くから一軍で起用された清水と淺間は伸び悩み、
宗も成長するまで我慢して使われた期間がやや長い。
この年はいささか変わっていて
バッティングの伸びている高卒野手が
全員サードになっている。
逆に言えば
もしこの3人のうち2人を獲得できたとしても
使えるポジションは限定されているということだ。

 

「5年先、10年先を見据えた指名」と「即戦力」の関係性

高卒野手で暗黒期を脱する道はあったのか

ドラゴンズが
「5年先、10年先を見据えた指名」で
暗黒期を免れる、あるいは脱出できたか。
それを可能にするには
年に1人か2人程度しかいない大当たりの高卒野手を
ピンポイントで指名するしかない

ポジションもかなり限定されていて、
ドラゴンズの大きな弱点になっていた
二遊間とキャッチャーは
バッティングの優秀な高卒選手が少なかった。
そして「地元枠」による縛りなども考慮しつつ
指名が可能で指名する意味もあった選手となると
浅村、筒香、今宮、近藤、森、岡本。
このぐらいしか見当たらない。
このうち筒香、今宮、森、岡本は
抽選を当てなければならないし、
浅村、筒香、鈴木、森は
遅くとも10年後まででチームを離れている。
また2010年代のドラゴンズには
レフトやファーストに
和田一浩森野将彦、ルナ、ビシエドなどの
ベテランと外国人選手も多数おり、
この好成績を残し続けた選手たちを
彼らより成績が良くない高卒の若手に替えても
貧打は解消されない。
レフト、ファーストの当たり選手の大半は
このあたりで意味をなさなくなるし、
ライトだと平田を上回る選手が必要、
センターの桑原は
活躍時期とその成績が大島とほぼ変わらない、
セカンドの山田は大野を逃す代償も大きい。
他球団の高卒野手は
2010年代のドラゴンズにとっては
さほどメリットをもたらさない選手がほとんどなのだ。

しかも他球団の当たり選手には上位指名が多いので、
全体の指名数を増やす意味もほぼなかった。
ドラゴンズの場合は
全体の高卒野手数は少ないが上位指名がそこそこ多く、
特に高校生野手の1位抽選を引き当てた回数は
全チームで最も多い

ついでに言うと
高卒投手は1位入札もそれ以外での指名もかなり多い。
隣の芝がいかにも青く見えているのだろうし、
高校生を好むスカウトにとっては
もっと高校生中心の指名をしたかったところなのだろうが、
これ以上の結果を
高校生の指名に求めるのは無理がある。

 

高卒至上主義の視点で考えるドラフトの失敗点

ドラフトにおける高卒至上主義は
「たとえ指名した選手が成功しなくても
高校生を育て使い続けようとする気持ちが大事」
という精神論が多分に含まれているので、
ここまであげた高卒選手の結果は
このような主義に教訓をもたらすことはないだろう。
一方で
2008年や14年をはじめとした
大卒や社会人の野手指名の失敗は
あえて高卒至上主義の観点で見ても極めて重大である。
「5年先、10年先を見た指名をしなかったから」ではなく
「高卒選手の育成だけでは育てきれなかったポイントを
大卒、社会人、外国人などで補うことができなかったから」
だ。
そしてそのポイントには
ポジションだけではなく「打線の主軸」も含まれる

通常の高卒至上主義では
この大卒・社会人の「即戦力」を
長打のないアベレージ型か守備型、ベンチ要員ととらえたがるが、
ホークスの松田、柳田や
バファローズ吉田正尚、杉本裕太郎、頓宮裕真などのように
「高校生の育成が上手」と思われているチームにも
生え抜きの高卒以外が打線の中心を担っているチームが
多数存在しているのだ。
ドラゴンズのドラフトは
必ずしもそういった選手を獲得する意識が弱かったわけではなく、
野本、松井佑、古本、杉山、井領、遠藤など
ある程度長打力を持っていたはずの大卒・社会人選手を
落合監督GM時代にもいなかった時代にも
何人か獲得してはいたものの、
これらの選手を主力に成長させることができなかった。
しかも高卒で育ったのがセンターライン以外に集中したため
ただでさえ獲得し育てることが難しい
二遊間とキャッチャーが打線の大きな穴になってしまい、
そこに阿部と木下拓哉の2人が台頭した頃には
平田と福田の衰えが目立ち始め
後継候補の日本人選手も育っていなかった。
このように
高卒至上主義の視点で見ても
高校生を大量指名しなかったことより
高卒以外から
活躍する選手をスカウト・育成できなかったことや
育成・補強の成果のタイミングの悪さなどが
ドラゴンズの打線を強化できなかった
大きな要因の一つと言えるのである。

*1:2003~04年:3巡、2005~7年:2巡、2008年~:2位まで

*2:1位はそれぞれ5人、7回のホークス

*3:中田氏の著書にも記されている