スポーツのあなぐら

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1996年ダイエーから考える野手ドラフトの条件

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今回は
1996年ダイエーホークスのドラフトについて
当時のチーム状況を見ていこう。

 

 

「野手ドラフト」絶賛の問題点

このドラフトに関して問題なのは
1996年ダイエーのドラフトを後になって絶賛しながらも
ホークスの野手事情に触れる人がいない
ことだ。
野手ドラフトを求めるファンが
ほんの少しでも野手に不安を感じただけで
野手ドラフトをやたらと求めたがるのも
現実の1996年ダイエーホークスを全く知らないのが
一因と考えられる。
ドラフト評論家なども
「チームの育成事情に関係なく野手ドラフトをしなければならない」
と主張していて、
この96年や
2年前の94年に城島健司を1位指名したダイエー根本陸夫
その代表的な成功例として掲げられている*1

 

現実の96年ダイエー野手事情

では現実の1996年のホークスはどんな状況だったのだろう。
年代表を作ってみるとこうなった。

96H年代表

得点はリーグ3位だったが
個人成績はそれほど良くない。
一軍で気になるのは
ファーストとサード、DHの成績がかなり悪いことだ。
この年代表だと少しわかりにくいが
一軍サードは松永と湯上谷、
DHは若井と河野が中心。
この3ポジションにリーグ平均を上回る選手がいなかったのである。
すでに一軍で活躍している若手は村松
盗塁王も獲得した村松はレフトで、
ポジション面ではこれもプラスと言えるのかわからない。
そして若い野手の絶対数が少ない。
チームに根本陸夫が関わってからは
ドラフト指名自体を1年平均5人に抑えていたこともあり、
そもそも野手指名自体が少なかった。

96H二軍野手成績

二軍の主なポジションはこう。
若くバッティングが悪くない内之倉と杉田は
サードとファーストでの出場が多いが、
まだOPSがない時代に
打率とHR数だけで見たとき
城島と比べると立場が弱いか。
年代表ではショート枠になっている
柳田と澤田はセカンド中心で
ショートも
一軍の浜名と二軍の本間の成長に頼る状況。
また二軍メインになったベテランが多く
一軍の前に
まず二軍の世代交代を進める必要も出てきていた。

 

失点が多い投手の現実

投手のほうは
年代表ではなく投手成績に注目したい。
1996年ダイエーの失点はリーグ5位。
実のところ
ホークスは1978年から19年間で失点リーグワーストが13回、
3位以上はわずかに1回しかない。
ホークスにとって投手力は長年のウィークポイントである。
ところが1996年は少しおかしなことが起こっていた。

93-97H投手成績

FIPだけは良くなっているのだ。
特に7年連続でリーグワースト、
18年連続リーグ5位以下を記録していた
三振数がリーグ4位。
さらに翌97年は
失点数がリーグ最下位だったものの
三振数は3位に達し、
FIPとK-BBがともにリーグトップを記録した。

つまり
防御率などは相変わらず悪いままだったが
少なくともFIPが関わっている部分については
投手陣の改善が着実に進んでいたと考えられる。
FIPやDIPSは当時ないけども
三振数が明らかに変化していたのだから
チームとしても
数字でも裏打ちされたそれなりの手ごたえがあったのではないか。
となると96年時点での投手のほうの課題は

  • 一軍で使える投手の数の確保
  • HR以外の長打やヒットを抑えられる投手の獲得・育成
  • 投手の能力に見合った守備力の改善

になる。
最初と二番目は投手育成にかかわることだが
三番目は野手の改善点だ。

 

「野手ドラフト」完成の条件

このように
96年ダイエーの最優先事項は野手だった。
守備はともかく若手のバッティングが成長しているキャッチャー以外は
全てが補強ポイント。
補強し続けないといつ崩壊してもおかしくない投手も
当然ながら補強ポイントになるが
それ以上に野手、
特に2、3年後には一軍へ出てきそうな
打撃・守備ともに高いレベルにある
即戦力のショートとセンターが急務な状況である。

そんなホークスにとって
この1996年はいくつかの好条件が重なっていた。
一つは
アトランタオリンピックによる
社会人の指名凍結が解除されたこと。
もともと好選手がそろっていた大学生に加えて
社会人の即戦力候補も獲得しやすい状況になった。
次に
この年最大の目玉候補が大学生のショートだったこと。
一番人気になる大学生や社会人野手はサードが多く、
大卒ショートが最大の目玉になる年は
鳥谷敬がいた2003年と
ショートでベストナイン経験のある小久保がいた1993年
ぐらいしか見当たらない。

そして逆指名制度の存在である。
現在の制度では
いくら補強ポイントにはまった強打者を
1位で入札したとしても
抽選に当たらなければ一番人気を獲得することはできないし、
他のドラフト候補と他チームの入札、くじ運次第では
補強ポイントをいったん放棄して
翌年まで課題を持ち越す必要に迫られることも珍しくない。
しかし逆指名制度では
囲い込んで逆指名の争奪戦を制しさえすれば
大学・社会人の目玉候補と確実に契約することができる。
そんなルールの中で
大学生の一番人気候補が
3年前の小久保獲得ですでに太いパイプを築いていた
青山学院大にいたのだ。
他にも
もう一つの大補強ポイントであるセンターの候補が
地元の九州共立大にいる。
これらの大物野手争奪戦において
ホークスは圧倒的なアドバンテージをもっていたわけだ。

 

96年ダイエーから見える「野手ドラフト」の条件

1996年ドラフト直後のダイエー野手陣はこうなった。

96Hドラフト後年代表

20代前半の野手4人を獲得し
代わりにベテラン4人とライディがいなくなった。
年代表の穴をしっかり埋める一方で
チーム状況からも10代の穴は無理に埋める必要がない、
そんなドラフトだった。
この後
吉永がファーストへコンバートされ
代わりにベテランキャッチャーの田村藤夫がFA移籍してくる。
小久保と浜名もそれぞれサード、セカンドへコンバートされるが
これはもうしばらく先の話だ。

では1996年ホークスがどのような状況にあったか、
もう一度確認しよう。

  • 弱点は投手とされていたが質の改善はそれなりに進んでいた
  • 実際はさほど弱点と思われていなかった野手の世代交代が急務だった
  • ドラフト上位候補に野手の弱点補強に適した逸材が集まっていた

そしてこの状況を踏まえて行われたのが
上位での即戦力野手3人の指名であり、
4位からは大卒・社会人投手の3人連続指名だった。
もっと言うと
この前1995年のドラフトは
投手5人・野手1人の投手偏重ドラフト、
翌97年は
1位から大卒・社会人投手4人を並べるドラフトをした。
「野手ドラフト」を求めるファンや評論家が問題なのは
闇雲に野手指名を求める代わりに
投手を二の次どころか四の次五の次程度に考えること、
そしてその主張を正当化する根拠として
根本陸夫の名前を使うこと
にある。

に書いたけども
このダイエーホークスのドラフトは
野手の質については現代に生かせる点は少ない。
野手候補の補強ポイント、即戦力度、数、そしてくじ運。
これらが全て奇跡的にかみ合わないと
あれほどの野手を3人指名するのは極めて難しいからだ。
現代の各チームは
二軍で育成する野手の数を確保していることが多いし、
根本のことだから
野手指名をあまりしなかったのは
96年にこのようなドラフトをすることを
ある程度見越して根回しも行っていたからでは、
とも疑いたくなるレベルの指名である。
しかし投手事情はうまくやれば充分参考にできる。
そして残念なことに
一般的に野手補強が急務とされるチームは
往々にして
投手の質が見た目よりかなり悪く、
実は守備力やパークファクター頼みになっていることも少なくない。
1996年ホークスドラフトは
良い野手がいれば野手の補強ポイントを無視していいとも
投手事情は顧みなくていいとも
何一つ教えてなどいない。
このことは
野手偏重ドラフトを求めるファンも
96年ドラフトを絶賛するドラフト評論家も
肝に銘じるべき教訓と言える。

*1:しかし、こんなことを書いている私でも野手に不安を感じる最近のヤクルトに対してだけはなぜか投手偏重ドラフトを求めるのも謎だ