基本的な基準
- 逆指名が導入された1993年以降が対象
- 大当たり年:大物選手が2人以上、または大物+そこそこ以上の選手2人以上
- 大外れ年:そこそこの選手が1人以下
要は「ごく一部スター選手で夢を見る」のではなく、
「チームを強くする」ことに主眼を置いている。
ドラフト評論では往々にして
「他9人が大失敗でも1人大物がいれば大成功」とされるが、
超大物が1人だけいても大当たり年にはならない。
これは単年に限らず複数年にまたがる話でもある重要なポイントだ。
またここではWARなどの考え方に基づき、
イニングの稼げないリリーフ投手を先発よりやや低く評価している。
大当たり年
1994年
山内、嶋、高橋、横山と数も大当たりの年。
ただし山内はやや短命、
嶋の開花が10年目*1、
横山は酷使からの長期低迷期間ありと
この時期の難点も見え隠れしている。
1998年
上位3人の松坂世代高校生は
1年目から使われた後に3年の雌伏期間を経た東出が復活。
この年は新井、小山田、森笠と大学生の年だった。
2001年
1巡の大竹がエースに成長。
そのほか石原と天谷も息の長い働きを見せた。
2006年
珍しく社会人重視の指名をした2006年は
逆に高校生が大当たり。
前田がMLBへ行ったので
2人がカープで同時に活躍する可能性が低いのが瑕。
2007年
高校生から丸が大成し、
安部と松山も主力に成長した。
安部、松山の本格化はどちらも27、8歳から。
他には小窪も貴重な戦力だ。
2011年
大卒で上位指名の野村と菊池の2人で既に大当たり年。
あとは故障がちな戸田がどこまで健闘できるかなんだが…。
2013年
3球団競合の大瀬良に九里、
野手も田中がいる大当たり年。
ただし田中は昨年、ファンからの評価が極めて低いことが露呈した。
大外れ年
1993年
12球団で唯一逆指名を使わず
高校生主体の指名をしたが成功は福地1人。
その福地も外野枠が埋まっていたことも災いしたか、
本格的な開花が移籍後の13年目と遅すぎた。
2003年
1巡の白濱は一部評論家から異常な高評価を受けるも厳しい結果。
2年目にレギュラーをつかみかけていた
尾形の大怪我がなければという年だった。
大外れ年次点
2000年
2位で逆指名を行使した以外は高校生主体だったが
高校生は全員失敗に終わる。
唯一の成功はその逆指名の廣瀬だが
こちらも本格的な開花は10年目と非常に遅かった。
2004年
投手7野手0の極端な指名をするも
当たりはリリーフの梅津だけ。
同じ1巡高校生投手の西武、日本ハムとは明暗が分かれた。
2008年
上位を地元枠*2で固めたが
岩本は主力になりきれなかった。
中田の実働が思いのほか短いのも痛い。
総評
カープが「育成上手」とうたわれたのは今に始まったことではなく、
Bクラスが続いていた2000年代どころか、
徐々に優勝争いからも離れ始めた1990年代も
ずっと育成上手と言われ続けてきた。
その内容もなぜか
「高校生主体ドラフト」「(高卒の)育成上手」の2種類限定だ。
しかし広島が高卒の当たり選手を2人以上出した年は
94年と2001年が何とかあてはまる程度で、
「世間一般での育成上手の評判」は
現実とはまるで違うものだったことがわかる。
逆指名以前の88、89、91年に野手の大当たり年が続き、
高卒から江藤智、前田智徳、浅井樹を輩出したのも
理由の一つかもしれないが、
なら大卒の野村謙二郎、町田公二郎、金本知憲は
どこへ行ったという話になる。
しかも歴史的に見るとこのチーム、
社会人の育成でローテを固めるのを得意としていた。
だがただでさえ91年の優勝からわずか2年で
投手力が致命的に悪化したところで
高校生主体に移行したのが災いし、
投手難に歯止めが効かなくなってしまう。
その結果、新人王の山内、澤崎俊和や黒田博樹の逆指名大卒組、
なかなか育たない高卒の中で早くに育った
横山竜士、河野昌人を短期間で使いつぶしていった*3。
こうした90年代のドラフトの失敗は
逆指名制度による金銭的要素がもちろん大きいのだが、
それに対応するための戦略や人選で
得意分野と時代の変化を見失っていた感も強い。
厄介なのは
三連覇を果たしているあいだに
近年のカープの得意分野を見失ったようなドラフトがまた行われたことだ。
今のところは遠藤淳志が先発ローテに定着して
路線変更が大成功を収めたと思う人も少なくないだろうが、
現代では1週間戦うだけでも
先発投手5~6人、リリーフ6~7人は必須。
当然年間ではもっと多くの選手が必要になる。
また野手も
小園海斗、羽月隆太郎、韮澤雄也などがいるから
彼らを使いさえすれば安泰、
あとは次の世代の高校生を
などと考えるのは危険だ。
特にカープは東出や尾形らの経験で
身にしみてわかっているはずである。