スポーツのあなぐら

主に野球のデータ、ドラフトについて書いていくブログ。更新頻度は気まぐれ

広島暗黒期のドラフトを振り返る

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今回はカープ編。
70年代後半から80年代は連覇こそ少ないが
常時Aクラスでコンスタントに優勝を重ね、
90年代も93年以外はAクラスに居続けた広島。
それが98年に5位*1になると、
そこからは4位ながら勝ち越した*22001年を除いて、
2012年までBクラスと長い暗黒期を経験した。

ところで、つい最近になって
カープの暗黒期について奇妙な論調を見かけた。
「前10年が大事」と言いながら
例の中日と横浜の前10年を見なかったことにした
大御所評論家が、
なぜか広島の前10年は取り上げたのだ。
昔から高校生重視で知られているはずのカープのドラフトに、
高卒至上主義の評論家にとって
何か批判するのに都合のいい点でもあったのだろうか?

高校生が少ない1位指名

先に結論から言うと、ポイントは上位指名にある。
1位指名の高校生と、上位指名の野手が少なかったのだ。

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  高投 高野 大投 大野 社投 社野
1988   1   1    
1989   1     1  
1990 1     1    
1991   1   1    
1992 1       1  
1993 1       1  
1994 1   1      
1995 2          
1996     2      
1997   1     1  
  6 4 3 3 4 0

見ての通り、
まず88~92年は1位・外れ1位で一度も高校生に入札していない。
逆指名導入後の93年からも
指名選手は1位で指名していたことが多かった関係で、
高校生はたった2人しかいない。
まあその代り2位はほとんどが高校生なんだが。

そしてもう一つ、野手の少なさだ。
10年の合計では13-7、
のちにコンバートされた嶋を野手とカウントすると12-8と
たいした差はないのだが、
92年以降は上位指名野手がその嶋と兵動しかいない。
つまり、野手の世代交代がいまいちうまくいかなかった原因を
この上位指名に押しつけることができるという寸法だ。

暗黒期以降は2004年まで見ておこう。

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  高投 高野 大投 大野 社投 社野
1998   2        
1999 1         1
2000 1     1    
2001 2          
2002 1   1      
2003   1   1    
2004 1   1      

98年からは1位に高校生が増えた。
全体的に野手の比率も増えている。

2位以下は高校生重視

上位指名でも2位は高校生が多かったが、
広島は3位以下でも高校生が非常に多い。

  高投 高野 大投 大野 社投 社野 高投 高野 大投 大野 社投 社野  
1988   3   1 2   6   2       1 3
1989 2 3     1   6         1 1 2
1990 4     1   1 6         1   1
1991 1 3 1 2 1   8             0
1992 4 1     2 1 8       1     1
1993 3 2     1   6             0
1994 2 3 1   1   7             0
1995 2 2     1 1 6             0
1996 1 1 2       4             0
1997 2 3   1 2   8             0
21 21 4 5 11 3 65 0 2 0 1 2 2 7
88~92 11 10 1 4 6 2 34              
93~97 10 11 3 1 5 1 31              

投手・野手とも高校生が過半数を超えている。
というか高校生が50%を下回る年がない。
かなり極端な指名だ。
野手の指名は92年ごろから一気に減っているが、
実際に減ったのは大卒・社会人野手だけとわかる。
高卒至上主義の観点からいけば、
「次世代の育成に備えた良い指名」のはずなのだが、
おかしいな。

98年以降は再び大卒野手が増えている。

  高投 高野 大投 大野 社投 社野
1998 2 2 1 2 1   8
1999 2 3   1 1 1 8
2000 2 3   2     7
2001 4 2 1 1 1   9
2002 1 1 1 1     4
2003   1   1 1 1 4
2004 3   3   1   7
14 12 6 8 5 2 47

世代交代が切羽詰まった状態になってきたのが理由だろうか。
一方で面白いのが投手の高校生率。
なぜかどの時期もトータルではほとんど変化がない。

ちなみに、カープはこれ以前の時期も大半で高校生が多い。
2年以上大・社が多めなのは1981~83年、72・73年、68・69年ぐらい。
当時の監督は古葉竹識*3別当薫森永勝也
根本陸夫だ。

「中心野手」を生み出せなかった高校生偏重期

戦力になった選手を、まずは野手から見てみよう。

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88年から91年の間に、
大量の主力選手を輩出している。
その反動か、93年以降は育成の質も速度も良くない。
投手からコンバートされた嶋が本格的に台頭したのは10年目、
福地にいたっては13年目に移籍した西武とヤクルトでの実績がほとんどだ。
外野は彼らの20代中盤まで緒方孝市・前田・金本の3人が強すぎたから
仕方ないんだけども。

ただ、そうした事情があるにしても、よく見てほしい。
高校生重視の指名が続いていたカープにしては、
大当たり選手に大卒がやけに多くないだろうか。
そして大卒・社会人指名が減ると同時に成功選手も減る。
本当にこれはただの偶然か?

細く短い高卒投手

ずっと高校生が半数以上を占めているカープの投手ドラフト。

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しかしこれはいったいどういうことだろう。
カープの場合、高卒投手で長く活躍するのは
5年に1・2人程度しか出ていない。
それもほとんどがリリーフ。
先発は長谷川1人と言ってよく、
彼の活躍時期は実質2001・02年と2006・07年ぐらいで
時間もかなりかかってしまった。
あとは「高卒は太く長く活躍する」どころか
1年だけイニングはこなしたという程度の選手が大半。
どこに「高卒=先発・主役、大卒・社会人=リリーフ・脇役」などという
事実が存在するのか。

広島カープの悲哀

カープの場合、
どうしても「誰を指名するか」と同時に
「誰が広島まで来てくれるか」というテーマと
常に向き合い続けていた。
それゆえ、即戦力になりそうな大卒・社会人も、
超有名な高校生も簡単には指名できない部分があったかと思う。
そんな状況の中でカープがとった戦略が、
高校生を大量指名して猛練習で鍛え上げることだったのだろう。
しかしそんなチームの本当の実態は、
むしろ大卒・社会人をしっかり育成して太く長い戦力にするのが得意だった。
高卒はとにかく数を撃てば誰か当たる方式になっていて、
そんな成功率の非常に低い中でも成長できた選手が入る。
こういう構図だった。
88~91年に指名した野手の例はこの極致と言っていい。

このような成功例が90年代後半に破たんしたのは、
主力輩出に特化したつもりの戦略だったために
野手は故障者・年齢的な衰えが出ても簡単に代役が出てこない、
投手は時代的な起用法の変化によって
戦力の絶対数がそのまま成績に直結するようになった
ことが大きいと思われる。
カープは自らがとってきた戦略の歴史的な本質を見誤っていたし、
逆指名の導入もあって金銭的にも見誤らざるを得なくなった
と言えるだろう。

最後に、98年から2004年までの戦力になった選手を見ておこう。

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野手は二遊間とセンターのバッティングがいまいち。
成長も全体的に遅いか、故障続きの選手も多かった。
2000年代中盤はセンターラインを外国人選手で補う年が続くことになる。
投手は大竹というエース格が1人出てきたものの、
それ以外の高卒がまたしても内容が悪い上に短命。
加えて大卒・社会人からも先発要員がほとんど出てこなかった。
そんなチームも今は黄金期にあるわけだが、
あれからどうやって改善できたのかはまたいずれということで。

*1:前年は3位だが負け越してはいる

*2:勝率では3位

*3:75~85年、そのうちのほんの一時期にすぎない