スポーツのあなぐら

主に野球のデータ、ドラフトについて書いていくブログ。更新頻度は気まぐれ

平成のドラフト史を検証する

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今回は
1989年から2018年の
「平成のドラフト」を
たった2つのキーワードから見てみようという
かなり無謀な話である。
その2つのキーワードは何かというと
「高校生」と「野手」だ。

「高校生」と「野手」比率の変遷

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本指名では1983年から、
ドラフト外を含めると1975年から
ずっと高校生重視の時代が続いていたが、
1989年には本指名で高校生率が5割を割り込み
ドラフト外を含めても1990年には50%を切った。
92年以降で高校生指名が5割を超えたのは
2007年の本指名だけになっている。

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野手率は平成に入ってやや減少傾向で、
90年代中盤からは50%を超える年がほとんどなくなっていった。
理由は投手起用が大きく変化したからだろう。
先発投手の完投が以前よりも圧倒的に減り、
抑え投手が2~3イニング以上投げる時代でも
先発投手がブルペンでリリーフ待機する時代でもなくなった。
このように投手の分業制と細分化が進んだため
一軍・二軍で投げられる投手の数が
それまでよりもはるかに多く必要になったのだ。

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2位(2001~04は3巡)までの上位指名を見てみると
ちょっと面白いことに気づく。
1988年から高校生の比率がそれまでより下がっていたのが
逆指名制度の1993年からは逆に増加し、
逆指名と分離が廃止された2008年以降に再びやや下がったのだ。
逆指名時代というと
大学生と社会人の逆指名締結に躍起になっていた
と思う人もいるかもしれないが、
自由競争で逆指名を取り付けられないチームにとっては
むしろ高校生に走る、走らざるを得ない時代でもあった
ということになる。
一方の野手率を見てみると
野手指名数の中で大学・社会人の比率があまり高くないのがわかる。
言い換えれば
野手上位指名の場合は高校生の比率が高いということだ。
高校生野手上位指名が0人だった2016年は非常に特殊な年だった。
また2018年は上位野手率が久々に50%を超えたが
これは1980年以来のことである。

平成の「ドラフト」を形成した出来事

さて
今出したデータで何がわかるかというと
これだけでは何もわからない
だがここで、平成に入って最初の頃に起こった
「ドラフト」にまつわる変化について振り返ってみたい。
ポイントは3つある。

 

地上波中継の開始

まずは本格的な地上波中継が始まったことだ。
1977~88年にも
テレビ東京千葉テレビで中継が行われていたが
89年つまり平成元年からは
さらに大手のテレビ朝日での全国中継になった。
会場での見せ方も
それまでの毛筆から
モニター、PCを使ったかなり大掛かりなものになり
一部の野球記者*1は「商業主義」「不謹慎」などと叩いていた。
…人間のやることは変わらんなあ。
この全国中継によって
ドラフトがファンにより身近なものになったのは間違いない。

 

逆指名の導入

次は1993(平成5)年に始まった逆指名制度である。
もともとは高校生を含めた
ドラフト上位指名全体に適用するつもりだったようだが、
最終的に高校生には適用されず
大学生と社会人のみが対象になった。
それまでにも
ドラフト上位候補が希望球団以外の指名を拒否する
事実上の逆指名はむしろ横行しており
批判の対象となっていたが、
これが正式に制度として認められたものとも解釈できるだろう。
しかしこれで選手関係者や球団のタガが外れたのか
以前にもまして裏金や真の契約金の高騰などが横行したようで、
様々な事件や騒動へ発展していくことになる。

 

ある団体の出現

そしてもう一つは何か。
現在確認できる限りだと
それは逆指名制度導入から3年前の1990(平成2)年にさかのぼる。
この年の夏甲子園が終わった後の9月、
ある雑誌で
甲子園大会でのドラフト候補40人を語るという
マニアックな座談会*2が行われた。
さらに11月には
この座談会の参加メンバーが中心となった
書籍*3も出版されている。
座談会の参加者は小関順二、田中久夫、川口正典の3人。
ドラフト会議倶楽部の登場である。

会員*4には出版業界の人物が多く、
当時既に名前が売れていた
スポーツライター二宮清純もいた*5
そのためかこの倶楽部の影響力はかなり強かったようで
先ほどの座談会はメンバーを入れ替えながら93年まで続いた*6
また1991年には「週刊ベースボール」に
彼らが行った模擬ドラフトの様子が掲載*7されており、
ベースボール・マガジン社の常務取締役だった田村大五は
ドラフト会議倶楽部の模擬ドラフトを
「ドラフトのあるべき姿」と絶賛*8している。
これは先述のような
事実上の逆指名が横行していた当時のドラフト上位指名への
反発によるものだろう。
そして会議倶楽部のなかでも
小関順二はこの後毎年週ベでドラフトの総評を書くなど
徐々に活躍の場を広げていくことになる。

 

ドラフト会議倶楽部の功罪

たかが趣味の団体にすぎない彼らに
何の力があったのかと言いたくなるだろうが、
彼らの影響力はそこそこ大きかったと思う。
会議倶楽部の功罪について考察してみよう。

 

ドラフトという楽しみ方

功の部分は
ドラフトに対する世間一般の関心を広げたことだ。
この後インターネットの普及によって
マチュア野球やドラフトを扱う個人サイトが立ち上げられるようになる。
さらに平成10年には『野球小僧』が創刊。
『野球小僧』はあくまでドラフトを含めた野球総合雑誌ではあるが、
それまでおそらく『週刊ベースボール』ぐらいしかなかった中で
新たな、それもアマチュア野球の比重が高い雑誌が作られたのは
ある程度の読者数を獲得できる見込みがあったから、
それだけドラフトへの興味が野球ファンに浸透してきたからと考えられる。
なお創刊号で行われた「ドラフトカルト座談会」は
先ほどの座談会と同じメンバーだった。
加えていわゆる松坂世代を中心としたこの年の高校野球
異常なまでの盛り上がりを示したことも大きかった。

布教された会議倶楽部の主義

一方で罪の部分は何かというと、
やはりドラフトに対する間違った観念を広めたことだ。
まず彼らが最初に登場した座談会を見てもわかるように、
ドラフトと言いながら彼らの関心はあくまで高校生にあった。
彼らの好みは模擬ドラフトを見るとすぐわかる。
91年の模擬ドラフト1位指名の結果を見てみよう。

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現実には4球団競合だった若田部よりも
単独指名だった石井の競合数が多く、
3位だった高校生の松岡や
同じく3位指名で強打の一塁手だった26歳の丹波
外れ1位に並んでいる。
高校生と強打の野手へのこだわりがやけに強いことがわかる。

90年に出た『プロ野球仰天驚愕ドラフト大真相』も
大真相と銘打ってはいるが、
一部に社会人野球観戦の勧めが書かれてはいるものの
それ以外は高卒至上主義と野手上位主義のオンパレードだ。
章のタイトルからして「『在京のセ』ほど迫力のないドラフト」
「熱パの再現は高校生指名から」などとかなり露骨だし、
どのチーム評を見ても
弱いのは「高校生を獲らない」「冒険心が足りない」から
強いのは「高校生が多い」「上位で野手と高校生が多い」から
とばかり書かれている。
たとえば既に暗黒期だった阪神には
1位指名のリストが掲載されており
「即戦力投手ばかり入札したから弱くなった」と
いつもの調子なのだが、
5年連続で高校生を1位入札した事実
当然のようになかったことにされている。

「一番人気に特攻するからパリーグは強い」も
実は30年前から進歩していない持ちネタである。
日本シリーズパリーグが勝ったのは
1978年以降だと西武だけ*9なのはおいておくとして
一応ここでは次の5人の指名が根拠に挙げられている。

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「この5人の入札にパリーグが多く
運は良くないが彼らには勇気がある。
だからパリーグは強い」のだそうだ。
指名後大活躍した選手ばかりで
これだけだといかにもそれっぽく見える。
さてこの表は
3球団以上競合した一番人気のリストなのだが
黒塗りと一番下の数字はいったいなんだろうか。
答えはこうだ。

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今度は一番人気をちゃんと全部載せてある。
セパの大競合特攻の差がほとんどなくなっているのがわかるだろう。
どちらかが多い大競合の回数には差があるが
セリーグ優位の競合ではセの競合数がパを大きく上回ることが多く
このような数字になった。

こうしてみてもわかるように、
彼らの主張の根拠は
現実のドラフトを自分たちの趣味に都合よく切り取ったものにすぎなかった。
しかしそんな彼らの教義は
元々日本人に根強い高校野球人気と
FAと大学生・社会人限定だった逆指名の導入、
そこからくる巨人や渡辺恒雄への反発なども相まり
徐々に浸透していったのだ。
そしてこうした野球ファンの傾向は
令和になった今も全く変わっていない。

 

忘れられるドラフトの本義

ところで
ドラフト会議倶楽部の「罪」の部分はもう一つある。
「ドラフトはチーム編成の一手段」ということを
二つの意味で忘れさせたことだ。
まず1つめは
ドラフト以外の編成の手段の軽視。
NPBではドラフトにかかる比重はMLBに比べてはるかに高いものの
平成に入ってからはFA制度が導入され
外国人枠が大幅に拡大したにも関わらず、
ドラフトをあまりにも重視しすぎていて
それ以外の手段を否定する傾向がやけに強いのだ。
まあ日本のファン自体にも
生え抜き至上主義がかなり強い部分があるので、
彼らの思想も
こうした一般的な主義を反映したものにすぎないとも言えるわけだが。

そして二つめは
彼らの興味が
マチュア選手の将来を想像することにしかなかったことだ。
これには先ほど書いた功の部分、
つまり一般のマニアによる
スカウト的活動(?)と情報発信へのハードルを下げる効果もあった。
しかしその結果
ドラフト全体の中で本来スカウトが持つ役割のごく一部しか注目せず、
各チームの編成事情、戦力外や候補選手の進路希望などの
編成としての様々な要素が全く無視された*10
そんな彼らが「在野のスカウト」ではなく
「ドラフトの専門家」として扱われたことで、
「自分または評論家が気に入った選手を
ポジション等は一切考えずただ乱獲するのが良いドラフト。
それで失敗するのは育成と起用が悪いせい」
と定義づけされてしまったのだ。
この考え方は当然ながら一般のファンにも浸透していく。
ましてや一般のファンは
ドラフト候補を上位候補と高校生のごく一部しか知らないうえに
自分が気に入った選手は100%成功すると信じて疑わない。
その結果
高卒至上主義の評論家すら上回る
高校生至上主義や高卒野手上位主義を持つファンが続出しており、
この力は主に自分の気に入らない指名をしたチームを叩く方向に向かった。
平成から令和に変わり
ネットで様々な情報を入手できるようになった現在も
この傾向は全く変わっていない。

 

変わっていく現実、凝り固まった思想

というわけで
ドラフト史というよりは
ドラフト大衆史とでも呼べばいいのだろうか、
あるいは思想史、
それともドラフト評論史か、
そんな話になった。
あくまで現在確認できる書籍・雑誌などから書いたものなので
当時のことをリアルタイムで知っている人から見れば
いろいろと抜けた部分があるかもしれないが
その点はご容赦いただきたい。

平成のドラフトは、
「『高校生』と『野手』を大量指名しろ」という教義に
野球ファンが踊らされた時代
と言わざるをえない。
現在一般的に広く見受けられるドラフトに対するこの考え方は
平成に入ってから広められたもので、
一部の人たちの好みと制度変更への反発などが
合わさったものにすぎなかった。
これらを広めたその一部の人たち、
つまり会議倶楽部から出てきた大御所ドラフト評論家などは
その評論やドラフト直後の採点などが
しばしば批判の対象になるのだが、
彼らが広めた主義思想は
もはや固定観念に近いレベルで浸透している。
平成の30年間では
ドラフトの制度やアマチュア野球を取り巻く環境、
選手の育成・起用等に関する戦略など
様々なものがで大きく変化していったものの、
ドラフトの思想に関しては
30年前の時点で既に時代遅れになりつつあった常識と
ゆがめられた現実とをもとにして作られた主義が
いまだに一般的な思想と染みついている。
それどころか
自分が叩いているドラフト採点や評論家と
全く同じ主張と思想で
監督の選手起用、フロントの編成を批判している人が
非常に多いのが実態だ。

今後は
プロでの様々な分析や選手育成方法の進化によって、
高卒選手の成功数と成功率も上昇したり
野手の確実性が増し上位指名が増えていく可能性はある。
しかし
たとえ時代がそのように変化し
大御所評論家やファンたちが
自分の主張にプロが追いついたと
鼻高々に自慢したとしても
彼らが現代の野球を見ていないのは既に明らかだ。
最後に2019年の各チームの主力投手数を出しておこう。
なお先発も7試合あるが40試合で71.1回の石田健大と
先発10試合が全てショートスターターだった堀瑞輝は
リリーフのほうでカウントしてある。

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2019年は今までにもましてすごい年になった。
先発要員以外で20試合以上一軍登板した投手が
全チーム8人以上に達している。
リリーフだけで年間8人以上が必須なのだから
そこに中6日前提の先発を加えれば
その人数はどうなるかは自明である。
しかしドラフト評論の世界では
2016年時点で
「一軍投手は1年間を11人程度でまわす」と明言されている。
もちろん
2016年に同じ基準に達した投手数が
11人以下だったチームはない*11

平成に作られた「ドラフトの常識」は、
あくまで一部の人たちの想像のうえに成り立っていた。
だがいいかげん
空想だらけの世界から現実の世界に戻らなくてはならない。
既に専門誌などでも
ドラフトを現実の編成から見ようとする動きが出てきてはいる。
だが一度巷に広く浸透した教義を覆すのは容易ではないし、
野球に限ったことではないが
情報網が非常に発達した現代ではむしろ
思想信条の硬直化・先鋭化が進む状況にすらなっている。
数十年後に令和が終わりを迎えるとき、
ドラフト直後にファンや評論家らは
いったいどのような言葉を口にしているだろうか。

*1:当時の週刊ベースボールにいくつか記事が出ている

*2:「現代24(9)」(講談社、1990年9月)

*3:畑田国男&ドラフト会議倶楽部『プロ野球仰天驚愕ドラフト大真相』廣済堂出版、1991年

*4:90年当時の会員一覧は本に掲載されている

*5:二宮が座談会の司会を務めている

*6:91年から安倍昌彦が追加、93年は川口に代わって牛山裕喜が加入

*7:週刊ベースボール46」(53、54)

*8:週刊ベースボール46」(54)

*9:西武5勝1敗、阪急・近鉄日本ハム計0勝6敗

*10:これはたとえばNumberのこの記事でも色濃く反映されている。2019年の西武山川穂高中村剛也に岡本和真、村上宗隆を加えたところで1B、3B、DHの3つのポジションをどう4人で使いまわせと言うのか?

*11:広島、楽天オリックスの12人が最少。先発7試合以上も追加すると楽天が唯一12人