スポーツのあなぐら

主に野球のデータ、ドラフトについて書いていくブログ。更新頻度は気まぐれ

日本ハム黄金期前のドラフトを振り返る

スポンサーリンク

 

日本ハムが東京から北海道へ移転したのが2004年。
それまでは数年に1回優勝争いをするものの、
優勝には手が届かずAクラスとBクラスを行ったり来たりだった。
それが2006年に25年ぶりのリーグ優勝を決めると、
そこから13年間で優勝5回、
Bクラスは3回しかない。
ソフトバンクの陰にはどうしても隠れてしまうが、
黄金期が続いているといっても過言ではないだろう。

ところが、ことドラフトとなると
どう見てもおかしな点がある。
評論家やファン、メディアが注目するのは
「一番人気」に特攻する1位入札と
2008年または2010年以降の高校生指名だけ。
「5年・10年先を見据えろ」と口先では言いながら、
2005年以前のドラフトについては
2004年のダルビッシュ有指名ぐらいしか目を向けないのだ。
あとは陽仲寿の特攻ぐらいか。
今回は、この誰からも見向きもされない
2005年以前のドラフトを見ていこう。

投手と高校生野手に特化した上位指名

f:id:Ltfrankc:20190512185057j:plain

 

  高投 高野 大投 大野 社投 社野
1996 1   1      
1997   1 1      
1998   1     1  
1999 1 1        
2000       1 1  
2001     1   1  
2002 1 1        
2003 1   1      
2004 1       1  
2005   1 1      
  5 5 5 1 4 0

高校生と大学・社会人はちょうど10:10。
逆指名・自由枠の時代で、
人気チームではないためやや逆指名を取り付けづらい。
そんな状況が反映された上位入札になっている。
また、ちょうど上位では投手の人気が上がってきた頃だけに、
ハムの上位入札も投手が多い。
野手の場合は高校生がほとんどになっていて、
96年以降に逆指名をした野手は木元だけだった。
今はほとんど指名してないが、
この当時は近畿大を中心に関西学生野球とのパイプが太かったようだ。

また、この当時から競合にはわりと特攻することが多く、
3球団競合が3回、2球団競合が1回ある。
勝ったのは田中と陽の2回。

野手は高校生寄り、投手は大社偏重

  高投 高野 大投 大野 社投 社野  
1996 1 1 2   3 1 8
1997   2 1 1 1 1 6
1998   2     3 1 6
1999 2 2 2   1   7
2000   2   1 3 1 7
2001   3 1   2 1 7
2002 1 2   2 1 1 7
2003 2 1 1   1 1 6
2004 1 2 1   3 1 8
2005 1 2 1 2 2 1 9
8 19 9 6 20 9 71
96~00 3 9 5 2 11 4  
01~05 5 10 4 4 9 5  

90年代後半からはビッグバン打線で知られる一方、
投手陣がかなり苦戦する時代に入った日本ハム
投手が致命的に足りないチーム状況もあってか、
投手は社会人が非常に多い。
その反面、野手は高校生を毎年2人以上指名していたが、
そもそも投手と野手の指名比率がかなり拮抗しており、
大社野手の指名もわりと多い。
2003年指名の糸井コンバートを考慮すると、
投手:野手は36:35という数字になる。
この大社野手15+1人を
高校生野手と大社投手に振り分けると、
2010~15年頃のハムの傾向に近くなってくるだろうか。

真の得意分野は何だったか

これらの指名の成果はこうなった。
まずは野手。

f:id:Ltfrankc:20190512185036j:plain


f:id:Ltfrankc:20190512185016j:plain

大卒・社会人の数がすごいことになっている。
戦力になった選手の数はなんと13人。
とんでもない成功率である。
高校生も10/19だからこちらもすさまじい成果なのだが、
それすらかすんでしまう数字になっていた。
中には守備・代走要員が何人もいるものの、
長年主力として活躍した選手で比較しても
高卒と大社に差は見られない。

 

f:id:Ltfrankc:20190512184947j:plain


f:id:Ltfrankc:20190512184935j:plain

投手はそもそも大卒社会人を大量指名したので、
大社出身の成功者が多いのは当然の結果か。
高校生も健闘している部類のように見えるが、
本当に活躍したと言えるのは
ダルビッシュとせいぜい正田ぐらい。
こちらも長い目で見れば
大社のほうが圧倒的に分がいい。
あと、ここでの基準値には達しなかったが、
通算ではそこそこ試合に出ていた投手を2人載せておこう。

f:id:Ltfrankc:20190512184857j:plain

 

名声と引き換えに失ったもの

日本ハムが得意としてきた育成とは、
実のところ大卒・社会人の野手にあったようである。
高卒もだいたい主力になるのは24~5歳以降なので、
これも似たようなものなのかもしれない。
2005~2009年にかけては
今回出てきた森本、田中賢、小谷野、鶴岡、糸井といった選手たちに
入れ替わっていき、
強い日本ハムが続いた。
そこから2012年までだと陽と中田翔ぐらいだったが、
その少し前から野手が高校生のみの指名になり、
さらに中島卓也西川遥輝、近藤健介らが出てきたことで、
「育成上手」の名声は飛躍的に高まることになる。

また、高校生ばかりを指名することには
もう一つ重要なメリットがある。
絶対に批判されないことだ。
日本ハムは資金力がどうしても弱く、
選手の流出は避けられないし、
どこかで負けが込む年はどうしても出てくる。
そうなったときに日本のファンやメディアは、
高卒生え抜きがほとんどだと批判めいたことは何も言わないが、
大卒・社会人が何人かスタメンにいると
全てを彼らのような「外様」を獲得したせいにしてくる。
移転してまだそこまで日がたっていないため、
北海道のファンやメディアに
そういった傾向があるかはわからないが、
少なくとも全国的にはそうなっている。
事実、吉村浩GMが以前いたチームは、
大卒と社会人獲得したばかりに、
「高校生を獲らないからいつまでも弱いんだ」と
袋叩きにされ続けた。
あのチームではそれでもファンの数が激減しないから何とかなるが、
日本ハムで主力の流出と低迷が重なるとどうか。
実際、2013年や17年は一気にファンが離れる可能性もあった。
移転後の優勝と黄金期が早かった分、
よけいにそういう危機感は強いかもしれない。

とまあ、妄想じみたことを書いてしまったが、
一方で最近高校生しか獲らなくなった弊害なのか、
大卒選手の育成がうまくいかなくなった。
単純に獲得数が少なすぎるので
運が悪かっただけかもしれないが、
高校生で育てられていなかった点の補強を狙った指名なだけに
現在のチームの穴をそのまま反映する形になっている。
もっとも失ったノウハウは
より年上の大田泰示の育成で発揮された可能性もあるが。

高卒選手の打撃の成長も
中田、西川、近藤はさすがに早熟な例外だったのか、
渡邉諒などを見ると徐々に元に戻りつつあるようだ。
一般的な選手のピーク年齢を考えると、
むしろこれが普通なのかもしれない。
最近は一部のファンやメディアによる
若手スタメン固定の要求が高まっており、
ファイターズに対しても例外ではなくなってきた。
こうした人たちはよく「我慢(して使い続けろ)」と言うが、
彼らに対して必要な言葉は
「(一軍である程度使えるようになるまでの)我慢」だろう。