スポーツのあなぐら

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阪神暗黒期のドラフトを振り返る

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「暗黒期」と言えば、
時代はかなりさかのぼるが
このチームをやらないわけにはいかないだろう。
ということで、今回は阪神
1985年に球団史上初の日本一を達成した阪神は、
わずか2年後に最下位へ転落。
その後は92年に優勝争いをした以外、
2002年までBクラスを経験し、
大半が最下位かせいぜい5位だった。
2003年以降はAクラスも多くなっているが、
少しでもBクラスが見えると
暗黒期の再来を危惧する人は非常に多い。
そしてそういう時にはたいてい、
「即戦力とFAに走って育成を怠ったから」と批判される。

一番人気から逃げない阪神

いつもの通り、阪神の上位指名から見ていこう。
ここでは暗黒期到来10年前の1977年から92年まで。

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  高投 高野 大投 大野 社投 社野
1977       1 1  
1978 1       1  
1979       1 1  
1980   1     1  
1981 1     1    
1982 1     1    
1983         2  
1984 1       1  
1985 1         1
1986 1   1      
1987   1       1
1988 1     1    
1989     1 1    
1990       1 1  
1991   1       1
1992 1       1  

77年は予備抽選からのウェーバー方式で、
阪神は全体4位。
1位のクラウンライターが江川卓(拒否)、
2位の巨人が山倉和博という年だ。
78年からはおなじみの入札・抽選方式。
ここで阪神は、2年連続で一番人気の大競合*1をものにする。
江川は小林繁とトレードとなった。
80年からはいったん単独指名が多くなるが、
ここまで1位で高校生は1人もいない。
といっても、この間に一番人気だった高校生は
81年の金村義明(2球団)だけだが。
また、83年2位の池田は高校生だった77年に一度阪神の指名を拒否し、
この年再度指名してのプロ入り。

その後、84年から88年は5年連続で高校生を1位入札。
特に日本一になってからは4年連続ということになる。
ちなみに、日本一になった85年の上位指名は、
日本シリーズで戦った西武と全く同じ指名である。
山野は2球団競合。
このあたりから1位は一番人気に向かうことがやけに多くなり、
かつ抽選を全て外すようになってしまった。
清原、萩原、松井とスラッガーの獲得もそれなりに目指しており、
長距離砲を全く無視していたわけでもない。

ところで一つ気になったことがある。
定時制在学の中込は「阪神球団職員」と書かれることが少なくないのだが、
同じ定時制・球団職員だった伊東勤
「西武球団職員」と表記されるのを見たことがない。
単に私が知らないだけならいいんだが、
この違いはどういった理由で生じるのかねえ。

暗黒期前10年全体を通すと

暗黒期前にまた起こった変化

今回の全体の数字は、暗黒期前の1986年までから見ていこう。

  高投 高野 大投 大野 社投 社野 高投 高野 大投 大野 社投 社野  
1977 1 2   1 1   5 1 2         3
1978 1       2 1 4 2 2     1 1 6
1979 1     1 1 1 4       1 2   3
1980 1 1 1   1   4 1 2       1 4
1981 2 1   2 1   6 1           1
1982 3     1 2   6             0
1983 1 1 1   2 1 6   2         2
1984 2     1 1 2 6 1 1         2
1985 2 1       2 5             0
1986 3   2     1 6   2         2
  17 6 4 6 11 8 52 6 11 0 1 3 2 23
  23 17 4 7 14 10 75              

ドラフトの本指名が4人か6人まで、
ドラフト外入団が多い時期でもあり、
ちょっとややこしいことになっている。
本指名だけを見ると高校生野手がやけに少ないのだが、
ドラフト外での入団は多く、
10年間全体では決して少なくはないぐらいの数字に落ち着いた。

その一方で、またしても起こった現象がある。
81年頃から高校生投手の本指名が激増しているのだ。
特に、84年以降は大学生と社会人の投手をほとんど獲らずに
高卒投手を大量に指名し続けた。
前5年、82~86年の本指名に限定すれば、
高卒投手の数は全12チーム中トップである。

主力に成長するのは

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77~81年の成功者は表の通り。
長く一軍の主力だった選手は少なくないが、
主力打者と言えるのは岡田と守備型の平田だけ。
ちょっと物足りないように見える。
ただ投手はさらに厳しい。
大卒・社会人もそこまで良くないうえに
高校生は11人全員が失敗。

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82~86年も、主力になるのは大卒と社会人ばかり。
投手は御子柴、仲田、遠山、
特に仲田は2年目から奮闘し続けただけに良かったが、
野手は長く主力になったのは前の時代と合わせても
17人中吉竹1人だけ。
獲得した選手がことごとく育たなかった。

暗黒期でさらに変わった阪神のドラフト

暗黒期突入後の現実

続いて暗黒期突入後の87~92年。
これまでの阪神への批判が正しいとすれば、
さぞ大学生と社会人偏重の指名になっているに違いない。

  高投 高野 大投 大野 社投 社野 高投 高野 大投 大野 社投 社野  
1987 3 2     1   6 2 1         3
1988 1 1     1 3 6   1     2 1 4
1989 2 2 1 1     6             0
1990 2     1 3   6             0
1991 2 2   1 2 1 8             0
1992 3 3     1 1 8             0
  13 10 1 3 8 5 40 2 2 0 0 2 1 7
  15 12 1 3 10 6 47              

現実は逆だった。
高校生が大きく増えていた投手に加えて、
野手の指名も高校生が半数を超えている。
先ほど見たように2位までは大卒・社会人が多いのだが、
3位以下では徹底して高校生主体の指名をしたことがわかる。

もう一点指摘すると、
この頃のNPBは徐々に大学生と社会人の指名が増えてきた時期にあたる。
たとえば、82~86年の5年間では
全体の高校生率が本指名56.2%、全体58.1%だったのが、
87~92年の6年間ではそれぞれ49.9%、51.5%まで下がっているのだ。
阪神の本指名57.5%、全体57.4%という数字は、
NPB全体ではそれぞれ4位、3位にあたる。
暗黒期になって安易に即戦力に走るどころか、
むしろ高校生を重視する指名に変貌していったのが阪神のドラフトだった。

伸びたのは即戦力と天才

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野手は相変わらず大卒と社会人の方が長く活躍しているが、
その中で高校生も新庄や星野が出てきてはいる。
塩谷は30歳前後で移籍したオリックスで台頭した。
投手は高卒の中込、山崎が3~4年目にかけて戦力になるが、
2人とも20代中盤から後半にかけての落ち込みがあり、
どちらかというと早熟の印象も強い。
結局のところを言ってしまうと、
高卒、大卒、社会人の別なく
いかに準即戦力級を獲れるかが全てだった。

逆指名制度導入後も多い高校生指名

どこが「即戦力偏重」なのかわからない逆指名時代前半

次に、逆指名制度開始後の1993年から98年までを見てみよう。
まずは1位・2位が同時入札になった上位指名から。

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高校生が半数の6人を占めている。
これはヤクルト、広島に次いで多く、
入札数ではオリックス、中日と並んで3位タイ。
オリックス新垣渚が拒否、
中日は紀田彰一の抽選を外した後に大学生の金森隆浩を指名したため、
入団した上位指名の高校生は単独3位だ。

  高投 高野 大投 大野 社投 社野
1993 1 3     1   5
1994 2 1   1 1   5
1995         3 1 4
1996   2 1 1     4
1997 2 1 2     1 6
1998 1 1 1   2   5

全体の指名に占める高校生の割合は48.3%。
セリーグでは4番目の数字で、一見多くも少なくもない。
ただしこの数字は、NPB全体で見ても4番目にあたる。
全体の平均は41.7%で、
阪神はここでも高校生指名がかなり多い部類に入るのだ。
セリーグでは5番目の巨人(42.1%)がNPB平均に近く(全体5位)、
圧倒的に高校生が少ないのは中日(31.7%)だった。
ただし、指名数そのものが少ないため、
高校生の数は中日の13人と1人差しかなく、
パリーグでは16人指名したロッテの方が多い。
なお、全体6位は近鉄で41.2%。
高校生率が最も少なかったのは、
西武(23.5%)、次いでダイエー(30.3%)、中日の順になる。
指名数ワーストも
西武8人、ダイエー10人の順。
少し見方を変えると、
根本陸夫のいたチーム、根本のチーム、
後半3年間の監督が星野仙一のチーム
というわけだ。
根本と星野は高校生重視のはずじゃなかったのか。

成功選手の質は向上した

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大社野手で今岡や坪井、
高卒でも関本、濱中が長く結果を残している。
スタッツは打高投低の時代に活躍していた点を割引く必要はあるが、
これ以前に比べると質が徐々に向上していったようだ。
ただ、平尾と北川がそれぞれ西武、近鉄移籍後に
長いこと戦力になっているので、
阪神での貢献度が高くないのがネック。
投手は、大卒と社会人もかなりつまづくようになってしまい、
井川、藤川らがいる高卒投手に比べて率でも優位に立っていない。
このあたりが、2000年前後からの
ファンや評論家の高校生偏重志向を後押しした一因かもしれない。

「ドラフトの鉄則」を忠実に守っていた暗黒阪神

日本一になった85年の阪神打線は
1、3、4、5番が極度に突出していたが、
このうちバースの退団と掛布の衰えがあまりにも早くやってくる。
飛び抜けた選手頼みの構成だったために、
そのスターたちが欠けたことで一気に打撃低迷期を迎えてしまった。
一方で他の選手も30代に達した選手が多かった。
社会人の野手が多くなっていたのは、
ほとんどのポジションの世代交代が急務で、
5年以上かかる高校生では到底間に合わないという自覚もあったのだろう。
その世代交代は89年頃までにゆるやかに進められていくことになるが、
代わった和田、八木、中野、大野といった選手たちで
上2人と真弓、岡田の後退の分まで埋めるのは酷だった。
暗黒期突入後に野手も高校生重視に切り替えた理由は、
こうした最初の世代交代が見えてきたところだったからかもしれない。

ここで、暗黒期阪神の本当のドラフト傾向を挙げるとこうなる。

  • 1位指名は一番人気から逃げずに向かっていく
  • 低迷していても即戦力にばかり走らず、高校生を獲る
  • 逆指名導入後は上位でも高校生と即戦力をバランスよく獲る

評論家やファンから「即戦力偏重」と叩かれ続けてきた阪神のドラフト。
その真の姿は、
評論家が主張する「ドラフトの鉄則」そのものだった。
それも、日本一になる前後、
さらに暗黒期に突入した後にその流れが加速していった。
打力をおろそかにしてきたかと言えば、
1位入札以外でも高校通算HRの多い平尾や濱中、
大学3・4年でHR6本ずつを打っている桧山などを獲っているから
これも当てはまらない。
強いて評論家の主張と違う点を挙げるなら、
外れ1位で高校生を指名しなかったことと、
福留孝介に入札しなかったことぐらいだ。

しかしそんな指名を続けた阪神は、
1999年から大卒・社会人偏重指名に移行し、
FAやトレードを積極的に活用して、
ようやくAクラスになったのが優勝した2003年。
つまり、この阪神の暗黒期が長引いた理由の一つは、
「ドラフトの鉄則」通りの指名をしたこととも言える
のだ。
これらの事実を無視して、
ありもしない「即戦力偏重」と「高校生指名不在」に理由を求めるのは
もう終わりにすべきだろう。

*1:78年は森繁和も4球団、西武が交渉権獲得