今回は
日本シリーズにおける
先発ローテーションの歴史を見てみよう。
日本シリーズで「ローテーション」が作られたのはいつか
中3日ローテーションの確立
日本シリーズで
「先発ローテーション」と言えるものが作られるようになったのは
1980年ごろのことだ。
「ごろ」とあいまいな表現になっているのは
いろいろな意味で1年に限定するのが難しいからである。
まず以前に出した1978年は
ローテーションが全くと言っていいほど定まっていない。
次に79年だが、
広島は山根和夫と池谷公二郎が2、5戦と3、6戦に、
近鉄も井本隆と鈴木啓示が1、4戦と2、5戦に
中3日で先発しているものの
カープのほうは第1戦先発の北別府学が
近鉄との相性が悪いと判断されたか
そのあとは翌80年もリリーフに回り、
バファローズは王手をかけられた6、7戦で
井本と鈴木啓が中2日の先発登板*1をしている。

そんな経緯のなかで2年連続の対戦となった1980年。
カープは前年の相性を考慮してか
山根、池谷、福士の3人によるローテーション。
バファローズも井本、鈴木啓に
前年と同じく第3戦に登板した村田を6戦でも先発させた。
両チームともに先発3人、中3日体制をとったのは
この年が初めてのことになる。
ただし井本は第3戦で同点に追いついた9回に登板し
翌日の先発は連投だった。
翌81年は日本一になった巨人が先発3人体制。
日本ハムはさらに1人多い4人体制でシリーズに臨んだものの
続く82年のプレーオフでは
工藤幹夫、高橋里志を中2日で先発させており
中3日のローテーションにはなっていない。
両チームが再び先発3人、中3日体制で戦うのは
1983年以降になるが
81、82年ともに中3日ローテーションを採用したチームが
日本一になっており、
ローテーションの有用性が証明されたのは
1980年ごろと言っても差し支えないのではないかと考える。
「ローテーション」が作られなかった理由
ところでなぜ日本の短期決戦では
先発ローテーションが作られなかったのだろう。
単に「投手を酷使する文化だから」などの
精神的な理由付けで済ませられるのだろうか。
理由はいくつか考えられるが、
何といっても重要なのは
そもそも「先発ローテーション」の考え方が
今とかなり異なっていた可能性である。
先発とリリーフの役割分担が明確になり
両者ともに頭数をそろえる現代では
先発投手が先発予定日以外でベンチ入りすることはあまりなく
ベンチ入りしたとしても投げさせないのだが、
昔は
ローテーション自体は作られていても
次の先発予定の数日前から
その前の投球回数などに応じて
リリーフ待機要員としてベンチ入りし、
先発が早めに崩れた場合や
抑えとして投げさせたい場合などで
投げさせることがしばしばあったのだ。
80年第3戦の井本もこの例にあたる。
そういったケースでは
2、3イニングで降板した先発投手が
中1日、2日程度で再度先発することも多かった*2ようで、
極端に間隔の短い先発起用があった場合は
だいたいこのパターンである。
合計7試合までの短期決戦となればなおさらで、
1978年の日本シリーズだと
ヤクルトは第2戦先発の松岡弘が
4、5戦で抑えに回った後第7戦で再び先発し、
同じく第2戦に先発した阪急の今井雄太郎は
3回でKOされてから中2日で再び先発、完投している。
この点で言うと
1979年、80年の広島は
絶対的な抑えである江夏豊がいるうえに
先発投手の完投能力も高く、
先発とリリーフの役割を分担できるチームだった。
81年の巨人も28SPをあげた角三男がいた。
あとは日程の問題もある。
MLBと違って雨による中止が多く
代替試合がシーズン終盤に組まれる日本では、
本来は日本シリーズまで日程が空いていたはずなのに
公式戦がシリーズ直前まで続くケースがあったのだ。
中でも極端だったのが1968年。

シリーズは10月12日に後楽園球場で開幕したが、
まずパリーグは
阪急と南海による優勝争いがもつれにもつれ
優勝が決まったのが
10月11日にそれぞれ行われた両チームのシーズン最終戦。
ホーム西宮球場での4連戦を戦い抜いたブレーブスは
すぐに東京へ向かい
優勝決定から連戦での日本シリーズだった。
優勝がかかっての落とせない試合が続いたため
ローテーションは完全に崩しての死闘である。
その間フル回転した米田を
さすがに先発登板はさせられなかったのか
シリーズ第1戦は
10月3日以来の登板となる石井茂が先発。
なおホークスが優勝した場合も
大阪、日生球場でダブルヘッダーを含む3連戦からの連戦だった。
一方、セリーグ優勝の巨人は
125試合目での優勝決定で一見余裕がありそうに思えるが
この125試合目は10月8日のダブルヘッダー第2戦。
ここから3日間で5試合、
2日連続ダブルヘッダーからの即日本シリーズ突入だった。
全て後楽園球場での試合なのがせめてもの救いだったものの
こちらもとんでもない日程である。
最後の2日間4連戦はかなりすごい投手起用になっていて
2日とも第1戦渡辺、第2戦菅原が先発登板。
投手陣を日程消化用と日本シリーズ用に分けたのか
3日間で登板した投手7人のうち
9日に先発した城之内と10日に4回を投げた高橋明以外の5人は
日本シリーズで登板していない。
ほかには1980年もすごい。
セリーグ優勝の広島は
先ほど書いたように
最終戦終了から中2日での日本シリーズ。
一方の近鉄は
プレーオフが3戦で終わったため
シリーズまでは中6日空いていたが、
実は前期日程がすべて消化しきれておらず
シリーズ終了後の11月5日から8日まで
3試合が組まれていた。
この3試合では井本、鈴木啓、村田の登板はなく
第6戦にリリーフ登板した久保康生が中3日と中2日、
太田幸司が中5日で先発していた。
中3日から中4日、そして現代へ
中4日・先発4人体制の定着
さて中3日ローテーションが確立したのは
1980年代になってからだったが、
この中3日ローテーションの時代は非常に短かった。
中4日の先鞭をつけたと言えるのが
1985年の阪神。

それまでも
1978年阪急足立光宏や1981年の日本ハム高橋一三など
ベテランが先発登板する場合には
中4日空けることがあったものの、
85年の阪神は
若い池田親興と外国人ゲイルの2人が
第1戦から中4日、5日で先発。
その4試合で全勝して日本一に輝き
中4日ローテーションの初の成功例となった。

そして翌86年は
広島が第8戦まで完全に中4日ローテを貫き、
途中で先発・リリーフの配置転換をした西武も
第1戦先発の東尾修が中4日での先発4人体制だった。
これ以降は
1991年の広島と98年横浜*3以外
中4日ローテーションが主流になる。
ただし注意しければいけないのが、
最終第7戦や王手をかけられた試合では
シリーズ最後の登板ということで
スクランブル体制がしかれることが多く
ローテーションを崩した先発や
ロングリリーフも珍しくないことだ。
89年香田勲男、92年岡林洋一*4のような
第4戦で好投した先発投手の中3日での先発、
91年工藤公康、2008年岸孝之*5のような
第5戦の先発が中2日でロングリリーフをするケースなどである。
なおこのような登板はMLBでも時々見られる。
シーズン中が中4、5日のMLBだと
ポストシーズンで中3日ローテを組むことが
今も一昔前も頻繁にあるし、
2014年ワールドシリーズ第7戦では
第5戦に117球完封したBumgarnerが
中2日で5回から登板し最後まで投げ切っている。
最近のMLBは
ディビジョンシリーズやリーグ優勝決定シリーズでも
最終戦でのスクランブル継投が増加傾向にすらある。
日本シリーズでの先発5人体制
日本シリーズで先発4人体制が主流になったのは
1980年代後半のことだが、
2021年オリックスのような
さらに1人多い5人体制はとられなかったのだろうか。
実は
第5戦に5人目の先発投手がマウンドにあがるケースは
大昔からあった。
といってもたいていは
先発とリリーフの役割が分担されていない場合か
途中で先発とリリーフの配置を交換した場合で、
最も古いケースが1952年南海。
第5戦先発の江藤正は
第4戦で1イニングリリーフ登板してからの連投だった。
それまで登板がなかった選手の先発だと
1977年の阪急・佐藤義則が初めてだと思われるが
こちらは第1戦先発の山田久志が
第4戦からリリーフに回っていたためだ。
一方、
第1戦の先発が第4戦まで投げずに
第5戦でも先発しなかったのは1995年の佐藤義則、
まだ若い投手だと1997年の石井一久が最初*6になる。
そしてこの頃から
第4戦までに王手をかけているチームを中心に
先発5人体制がしかれるケースが増えていった。
1997年以降で3勝1敗と王手をかけながら
第5戦に中4日で先発したのは
2006年のダルビッシュ有と
2025年の有原航平だけである。
逆に王手をかけられている側か2勝2敗のタイだと
2010年代までは
第1戦の先発が中4日で第5戦に先発することが多く、
基本的には先発4人体制としておき
優位に立ってチームに余裕があれば5人目を出す、
そんな運用になっているチームが目立っていた。
2020年代の先発ローテーション
この状況が再び変化してきたのが2020年代。
普段の日程でも
中6日ローテーションに加えて
頻繁に中8~10日以上空けるローテが
主流になってきたこともあってか、
日本シリーズも
中6日登板を基本とする先発起用が定着。
それまで2010年にしかなかった
両チームともに
第1戦から5戦まで違う先発投手を起用するローテが
2021年から3年間続いた。

この後5人どころか
日本シリーズ史上初となる先発6人体制をとり、
第1~6戦まで全て先発投手を替えたのが2021年ヤクルト。
ただし2025年時点で
初戦から違う先発投手を6人登板させたのは
まだこの年のスワローズだけになっている。
2023年タイガースも7試合で6人の先発を登板させたが、
第6戦は第1戦先発の村上頌樹が先発した後に
第2戦先発の西勇輝が中5日で3イニング、
第7戦では初登板の青柳晃洋が先発し
第3戦先発の伊藤将司が中4日で3イニングを投げた。
その一方で
第1戦の先発が第5戦にも先発したのが
2024年ベイスターズと2025年ホークス。
特にホークスは
前年のシリーズでは先発5人体制だったうえに
2025年は3勝1敗と大手をかけた場面であった。
ところでこの両チームは
CSファイナルステージを第6戦まで戦った共通点がある。
ファイナルSは6連戦システムだが、
6連戦では先発5人体制を敷いても
6戦目には第1戦の先発が中4日で投げねばならず、
3勝3敗で迎えた最終戦に
第1戦に登板したエースないし準エースではなく
先発6人目が登板するのは普通は考えづらい。
まあ日本シリーズの第7戦だと
2023年青柳晃洋や2008年西口文也の例もあるが、
日本シリーズと違って次があるCS最終戦では
序盤交代からのスクランブル継投も辞さない
6人目の先発起用がかえってやりづらいのだろう。
また24年ベイスターズのような
ファーストステージからの下剋上組の場合、
ファーストSの先発が既に
中5日でファイナルSに登板していることが多い。
シリーズ直前に
そのような調整と登板を行っているかどうかも、
日本シリーズのローテーションを決定する
重要なポイントになっているのではないだろうか。