スポーツのあなぐら

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日本シリーズで先発の投球回が最も少なかった年は

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2021年の日本シリーズ
オリックス東京ヤクルトの対戦となった。
この両チームは26年ぶりの組み合わせになるが、
バファローズ―スワローズと表記すると
オリックスと合併した大阪近鉄バファローズ
最後に日本シリーズへ進んだ
2001年以来20年ぶり。
また今年のセリーグホームゲームは
スワローズのホームである神宮球場ではなく
東京ドームでの開催だが
こちらは後楽園球場で開催された1978年以来43年ぶり、
しかも43年前の対戦相手が
オリックスの前身である阪急ブレーブス
いろいろな意味で歴史的に因縁深い対決となっている。

ところで
一足先に終了したMLBポストシーズンでは
ここ2年間の先発投手の交代の速さ
少し話題になり
日本国内の記事でも取り上げられた。
ただし日本でこのようなの話が出る場合は
「『早い交代を多用させるデータ野球』を頭から否定したい」
「選手の気持ちを重視するオールドスクール型の監督を礼賛したい」
という日本のライターの意思が強調される書き方に終始しており、
そのオールドスクール型とされる監督も
オープナーの起用や
ローテーション投手の早い交代で
先発イニング数の減少にひと役買っていた事実が
完全に無視されているため
注意が必要だ。

 

日本シリーズの先発投球回が最も少ないのはいつか

それではこれまでの日本シリーズ
先発投手の交代が極端に早かったのはいつだろうか。
実は
日本シリーズのみとポストシーズン全体とでは
正解が異なるのだが、
ここでは日本シリーズのみでの最少イニングを紹介する。
ヒントは2021年と少しばかり関係の深い年だ。

 

2021年にある記録が塗り替えられた年

答えは1982年
セリーグ優勝のドラゴンズが19引き分けを記録し、
2021年に破られるまで
歴代最多引き分け数となっていた年である。

1982日本S先発起用

ドラゴンズのイニング数は
仕方がない面もかなり多い。
ペナントレース終盤では
先発が足りないなかで
雨天中止による日程消化が遅れたうえに
優勝決定が最終戦までもつれ、
連戦でのスクランブル継投が続いていた。
そしてシリーズ突入後は
終戦完封勝利から中4日で先発した
小松が3回途中5失点KO、
第2戦の都裕次郎が先頭打者の打球直撃で負傷降板したため
徹底したスクランブル継投をせざるを得ない状況になったのだ。
先発した投手のうち
小松は第2戦を含む計5試合に登板、
三沢淳が第2戦に3回、
鈴木孝政は1、3、6戦で計12.1回を投げている。

このように
現代でも普通に代えそうな場面での交代も多かったドラゴンズに対し
ライオンズは初戦で
6-3とリードした4回頭から
松沼博を東尾修にスイッチ。
第2戦も
6-0と大量リードした4回二死一、二塁の場面で
小林誠二を投入するなど、
3~5戦は代打を送っての交代だったとはいえ
極端に早い継投が目立った。
ファイターズとのプレーオフから
この3人による中3日ローテを組む一方で
ベテランエースの東尾をリリーフに回したことが
このような先発起用につながったのだろう。
先発3人は各2試合で誰も10回を超えなかったが
東尾は4試合に登板して13.2回、
小林も3試合で10.1回を投げ、
6試合の勝敗は
全てこの2人についている。

 

先発のイニングが短くなるのはどんな年なのか

先発投手のイニング数の少なかったシリーズを
挙げていくとこうなる。

日本シリーズ先発イニング数ワースト

1982年はポストシーズン全体では2位。
プレーオフ第3戦で工藤幹夫が完投するなど
プレーオフでのファイターズの投球回が多く、
これらを加えた場合
最も少ない年は1960年になる。

日本シリーズプレーオフでも、
先発がかなり早く降板しやすいのは
単純に失点が増えた場面である。
当然ながら敗戦チームは
先発の平均イニングが短くなる可能性が高いわけだが、
シリーズ全体での先発イニング数が減るには
勝利チームのイニング数も少なくなる必要がある。
ここで挙げた7回のシリーズのうち
2010年は
勝ったマリーンズも先発が打たれる試合が多く、
2020年のホークスは
第4戦以外が5回以上、
第1戦と3戦は7回を投げているので
交代が早すぎるとは言えない。

これら比較的最近の2回を除くと
過去の日本シリーズ
極端に早い継投が起こりやすかったのは
56年西鉄、60年大洋が三原脩監督、
82年西武が広岡達朗監督、
96年オリックス仰木彬監督、
97年ヤクルトが野村克也監督なので
どうも「知将」「名将」と呼ばれる監督がいる場合のようだ。
もちろん
同じ監督でも完投がかなり多くなる年もあり
酷使などもいとわず
単に目の前の試合を勝ちに行った結果にすぎない。
また50~80年代までは
先発が早々に降板しても
後の投手がかなり長いイニングを投げることも多く、
先述の82年はこのタイプに近い例だった。
逆に考えれば
こういう采配をして最終的に勝ったからこそ
彼らは「知将」「名将」と呼ばれたのだ、とも言える。
負けが続けば、
いや近年のレギュラーシーズンのホークスやジャイアンツのように
たとえ優勝したとしても「ただの焦り」などとしかとらえられないだろう。
そういう意味では
先発とリリーフの役割が分担され
先発ローテーションが確立して
酷使についても周りがうるさくなった現代では
「知将」がほぼ出ない、
出ようもない状況になっているのかもしれない。

 

先発の投球回が非常に長かった年

逆に先発の平均投球回が長い年はいつだろうか。
両チームの平均が最も長いのは
第1戦で若林忠志、大島信雄両先発による12回完投があった
1950年毎日オリオンズ―松竹ロビンスの7.53回。
勝利チームに限定した場合は意外と最近になり、
2002年の巨人が平均8.00回に達している。
初戦に上原浩治が134球1失点で完投した以外はすべて継投、
あと3人の先発は
いずれも7~8回を1~2失点に抑え
110球台と無理のない投球数だった。
一方、
敗戦チームの先発平均イニングが最も長かった年は
なかなか無茶な完投が多かった年になっている。
このように書くと
皆さんが連想されるシリーズはいつだろう。
有名どころでは
岡林洋一が延長戦2試合を含む3完投を記録した
1992年ヤクルトを想像する人なんかが多いかもしれない。
だが92年ヤクルトの6.95回や1950年松竹の7.39回よりも多い
7.62回*1を記録したチームが、
これまた2021年となじみの深い年にある。
1978年の阪急だ。

1978日本S先発

日本シリーズ三連覇中だったブレーブス
無茶な完投をせざるを得なくなったのは
抑えの山口高志
シリーズ直前の故障で
投げられなくなったためである。
もともと主力投手の頭数は多くなく
シリーズでは
さらにごく一部のエースに依存した
投手起用をする傾向の強かったブレーブスでは
替えのきかないシリーズ直前での
山口の事実上の戦線離脱は
致命的とすら言ってよかったと思われる。
第1戦は終盤に逆転し
山田が5失点ながら完投勝利をあげたものの
第4戦では
5-4の9回に今井が2ランを浴びて逆転負け。
第5戦も
2-3の8回にソロホームラン、
3-4の9回に3ランで突き放されるなど
明らかに抑え不在で先発を引っ張りすぎての敗戦が続いた。
なお対戦相手のスワローズは
82年西武と同じ広岡監督だったが
このときは一律の役割分担にはこだわらない投手起用。
松岡は第4、5戦に抑えで登板し
梶間は1、4戦で1イニングを投げたのち
連投となる第5戦で先発登板している。

*1:2番目は1950年ではなく1986年広島の7.46回