スポーツのあなぐら

主に野球のデータ、ドラフトについて書いていくブログ。更新頻度は気まぐれ

阪神高校生偏重指名の歴史

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今年のドラフトで1位から高校生をひたすら指名してきた今年の阪神
これまでの阪神は「高校生を獲らず中途半端な即戦力に走る」と叩かれ続けたが、
今年はそういう批判をしてきた人たちがべた褒めしている。
まあ「前評判がいい有名な高校生=そこらの評論家やファンが好きな選手」
ばかりを獲ったんだからそういう反応になるわな。
だが「高校生ばかりを獲るドラフト」なら今までにも何度かある。
今回はそんなこれまでの阪神の高校生偏重指名の結果を見てみよう。

ほぼ高校生しかいない年

ドラフト黎明期には極端な高校生偏重の年が続く。

1966年

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この年は国体に出場しない選手を対象とする一次と
国体出場選手を中心とした二次に分けて指名が行われた。
1位はどちらも12人のリストによる入札制、
2位以下は現在と同じウェーバー、逆ウェーバーである。
一次1位は地元の江夏を4球団競合で引き当てた。
二次の1位西村は単独指名。
なお、この時期は全チームが大量指名を行い、
そのうち半分以上の選手は入団を拒否する時代。
阪神はこの年一次ドラフト10人、
二次ドラフト4人の合計14人を指名し、
入団したのはこの6人だった。
大学生は大倉1人。社会人は1人もいない。
つまり一次ドラフトは10人全員高校生である。
おそらく球界史上でもトップクラスに位置するだろう江夏を
運に恵まれたとはいえ獲得できたのは非常に大きな成果だが、
それ以外は大倉が二番手サードとして働いたぐらい。

1967年

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翌67年からは77年まで続く
事前抽選順による奇数巡ウェーバー、偶数巡逆ウェーバー方式。
全体3位と良い順位を引き当てた阪神は、
1位で高校生の野上を指名した。
この年はドラフトで10人を指名したが、
3巡の林田真人(早稲田大・拒否)以外は
全て高校生の指名だった。
入団はドラフト6人とドラフト外2人。
名前のインパクトは非常に強いものの、
結果的には代打の切り札を2人輩出するにとどまった。
さすがに失敗ドラフトと位置付けざるを得ないか。

1968年以降は1位指名では大学生と社会人が続く。
が、2位以下では高校生中心の年が珍しくなく、
ドラフト外を含めた入団選手数に高校生がかなり多い例としては
7-4(1970年)、4-1(73年)、6-2(77年)がある。
また、1980年から87年までは高校生率が50%を割った年がない。

1987年

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日本一になった1985年からわずか2年後、
41勝しか挙げられず長い暗黒期が幕を開けた87年の阪神
この年の阪神が敢行したのは徹底した高校生偏重ドラフトだった。
1位では一番人気・川島の抽選を外した後、
高卒2年目だが廃部で特例となった19歳*1の野田を指名。
そして2位からは本指名・ドラフト外全てで高校生を獲得した。
野田は深刻な投手不足と当時の球界の傾向も相まって、
便利屋として使われながらの育成になった。
野手は山田が守備型捕手として長くチームを支える。
俊足好打の選手とはいえ、亀山の実働が短かったのは痛い。
9人中5人、高校生は8人中5人が一軍出場なし。

1992年

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4球団競合の松井は抽選を外してしまったが、
外れ1位では同じく高校生の安達を指名。
全体では高校生6-大社2の年になった。
結果は大外れに近い部類である。
竹内は便利屋のような起用もあって長続きせず。
塩谷は活躍したのが28歳でオリックスに移籍した後、
しかも歴代屈指の打高投低だった2003、04年中心なのが評価を下げてしまうか。
それ以外の高校生5人は一軍出場がなかった。

1993年

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1位で藪の逆指名を取り付けたこの年の阪神は、
1位と同時入札の2位が高校通算68HRのスラッガー平尾。
3位以下も全て高校生を獲ってきた。
藪は期待通りエースとして暗黒期のチームを懸命に支え、
高波は守備代走要員として貢献した。
平尾は主に起用されたセカンドに和田豊が健在だったこともあってか、
阪神では結果を出しきれないままだった。
西武移籍2年目からは30代後半まで約10年バイプレーヤーとして活躍。

2010年

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1位では大石の抽選を外した後に榎田を単独指名。
2位は甲子園準優勝の一二三を獲得した。
支配下指名は3-2だったが、育成が高校生3人なので、
合計では6-2と高校生偏重指名になった。
榎田は3年目ごろからしばらく結果を出せなくなったが、
K/BBは2年目から昨年まで妙に安定していた。
2017年に20HRを打った中谷は元々低打率なうえにそれ以外の年、
特にこの2年間バッティングが低迷しているのがちと痛い。
岩本はもっと活躍しているイメージの人が多いかもしれないが、
最多登板は去年の17、最多先発は2015年の4試合だ。
島本は9年目の今年大活躍。
他の高校生偏重の年に比べれば結果を出している年と言えそうだ。

次点・高校生過半数の年

昔の例はあまりにも多すぎるので、
こちらはごく最近に限定する。

2004年

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自由枠を2枠使い、4巡も社会人の橋本。
だが5巡からは高校生4人に中学生1人で、
指名数の合計は年齢が高校生以下の選手のほうが多かった。
しかし高校生で一軍出場を果たしたのは玉置1人。
この年のセンバツで優勝した済美高の高橋*2
中学生指名で話題となった辻本などは伸びなかった。
一方この中で最高齢だった能見は現在も一軍主力である。

2011年

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育成指名を含めると50%ちょうどなのだが、
支配下指名では3-2なので入れておいた。
単独1位の伊藤は期待された長打力が影をひそめてしまった。
入ったのがちょうど統一球2年目なのも遠因だろうか。
前年に続いてこの年の春または夏の甲子園に出場した
高校生投手を2人獲得した。
今度は松田がそれなりの戦力になったので、
全体では2010年より苦しいが高卒投手では少し報われた形。

高校生は本当に「0か100」か?

ドラフトで高校生をひたすら推してくる人は
「高校生は『0か100』だから0を恐れず大量指名しろ」とよく言う。
この人たちにルーレットでもさせたら一点賭けしかしないんだろうか。
しかし、今回見た中で成果が「100」と言えるのは誰か。
社会人からは野田、藪、能見が100と言っていいだろう。
最近多かった大学生は1人もいないが、
時代が違うしそもそも5人しか獲ってない。
じゃあ高校生はどうだったろう。江夏以外にいただろうか。
江夏はたしかに100どころか120だと言われても異論のない選手ではあるが、
結果的に確率は1/43。
あれ。ルーレット一点賭けより低確率になってしまったぞ。
と言っても、
さすがに分母が無駄に多くなりすぎなければ
高校生全体の確率がここまで低くなることはまずないはずだし、
途中で挙げた1973年には掛布雅之がいるので、
阪神全体でもそこまでの低確率ではないのはたしかだ。

阪神の歴史上では、
高校生を大量指名した年には上位の即戦力が主力になり、
高校生はバイプレーヤーに育つケースが多いようだ。
「いや今回は高校生が1位だから大丈夫」
「有名な高校生(俺たちが好きな選手)だから絶対全員大成する」
などといった反論が飛んできそうである。
だが有名だった選手が結局大成できなかったケースは山ほどあるし、
このブログは
「なぜこの有名選手が指名されなかったか、すぐ戦力外になったのか」
を見に来る人の比率が非常に高い。
こういう見込み違いは日常的に起こるもの。
本当に選手やチームを長い目で見るのなら、
外の人間が期待をかけすぎて
ハードルをむやみに引き上げることも控えよう。
あとは実際に自分がハードルを高く上げすぎたとわかった時、
まず自分の目利きを疑うこと、
首脳陣など他人だけのせいにしないことだ。

*1:早生まれ

*2:準優勝だった夏はベンチ入りしていない。高校通算37HR