巨人の「暗黒期」はいつ?
暗黒期前のドラフトを振り返ろうというこのシリーズ。
今回は巨人編、と言いたいところなのだが、
そもそも巨人に暗黒期は存在したのだろうか。
リーグ最下位は1975年だけ。
2年連続Bクラスすらも2005、06年の1回しかない。
他のチームの基準での「暗黒期」が一度もないのだ。
一方で、球界は巨人一強でなければならないという考え方、
いわゆる正力松太郎モデルの視点で見れば、
1年ならともかく優勝から2、3年遠ざかってしまうと
「暗黒期」扱いになるだろう。
これまでに優勝を連続で逃した年数の最多は4年で、
2003~06年、2015~18年の2回。
3年連続までなら
1978~80年、1984~86年、1991~93年、1997~99年がある。
このうち、
かなり負けの込んだBクラスが2年続いた2003~06年は確定といってよさそうだ。
今回はこの2003年以前のドラフトと、
おそらく暗黒期と思っている人が多いだろう
2015年以前のドラフトを見ていくことにしよう。
ただし、2003年以前のほうは10年前の1993年からじゃなく、
1989年から見ていくことにする。
1989年以降の上位指名
高投 | 高野 | 大投 | 大野 | 社投 | 社野 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1989 | 1 | 1 | ||||
1990 | 1 | 1 | ||||
1991 | 1 | 1 | ||||
1992 | 1 | 1 | ||||
1993 | 1 | 1 | ||||
1994 | 2 | |||||
1995 | 1 | 1 | ||||
1996 | 2 | |||||
1997 | 1 | 1 | ||||
1998 | 1 | 1 | ||||
1999 | 2 | |||||
2000 | 1 | 1 | ||||
2001 | 2 | |||||
2002 | 2 | |||||
89~92 | 1 | 1 | 2 | 1 | 2 | 1 |
93~02 | 2 | 1 | 7 | 4 | 4 | 2 |
1989年以降は、逆指名制度以前から
大学生・社会人の上位指名が多くなっている。
ただし、80年代自体は高校生投手の1位単独入札がかなり多く計4回。
大学生に行ったのは84年の竹田光訓と86年の阿波野秀幸だけで、
この2回を含めて4度の1位抽選は全てくじを外した。
そして逆指名導入以降は徹底して逆指名を行使。
高校生の大競合に向かう時以外は全て逆指名させていたことになる。
また野手指名の比率はそこそこ高く、
1998年までに限定すると野手率がちょうど5割。
全チームトップタイの数字である。
次に2003~14年も見てみよう。
高投 | 高野 | 大投 | 大野 | 社投 | 社野 | |
---|---|---|---|---|---|---|
2003 | 1 | 1 | ||||
2004 | 1 | 1 | ||||
2005 | 1 | 1 | ||||
2006 | 1 | 1 | ||||
2007 | 1 | 1 | ||||
2008 | 1 | 1 | ||||
2009 | 1 | 1 | ||||
2010 | 1 | 1 | ||||
2011 | 2 | |||||
2012 | 1 | 1 | ||||
2013 | 1 | 1 | ||||
2014 | 1 | 1 | ||||
6 | 6 | 6 | 1 | 3 | 2 |
1999年以降は投手が圧倒的に多くなっている。
これは、目先の投手ばかりを求めたというよりは
逆指名や自由枠を含めた上位指名の大社野手に
キャッチャーが多いことが関係しているだろう。
19人の上位大社野手のうち、捕手は阿部を含めて7人。
2001年以降の4年では13人中5人がキャッチャーだ。
そして分離時代を経た2008年以降は1位単独指名が非常に多くなった。
選手に逆指名をさせて他球団を敬遠させる荒業も目立つ。
また野手の上位指名が多く、
1・2位の半数が野手なのは12チーム中巨人だけである。
なお2015年以降の4年間はこう。
高投 | 高野 | 大投 | 大野 | 社投 | 社野 | |
---|---|---|---|---|---|---|
2015 | 1 | 1 | ||||
2016 | 1 | 1 | ||||
2017 | 1 | 1 | ||||
2018 | 1 | 1 |
ここ3年は
3年連続で一番人気を入札し、
3年連続で外れ1位の抽選も外している。
逆指名までさせて単独指名を狙いたくなるのもわかる気がしてしまう。
逆指名の前から続いていた病
通常だと2003年の10年前から振り返るのだが、
巨人の場合は逆指名制度以前から振り返る必要がある。
全体はまず1989~92年を見ておこう。
高投 | 高野 | 大投 | 大野 | 社投 | 社野 | 高投 | 高野 | 大投 | 大野 | 社投 | 社野 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989 | 2 | 3 | 1 | 6 | 4 | 1 | 1 | 6 | |||||||
1990 | 1 | 2 | 3 | 6 | 1 | 1 | |||||||||
1991 | 3 | 1 | 1 | 1 | 6 | 0 | |||||||||
1992 | 2 | 2 | 1 | 5 | 0 | ||||||||||
89~92 | 11 | 6 | 3 | 5 | 2 | 3 | 30 |
これだとちょっとわからないが、
実は89年の高校生投手計6人のうち2人がのちに野手転向したため、
トータルでは14-16と野手が多いドラフトになっている。
巨人は89・90年に圧倒的な投手力でリーグ連覇を果たしたが、
キャッチャーは90年に台頭した村田真一が27歳、
外野の日本人はベテランの原辰徳や大怪我から復帰した吉村禎章などで、
センターにいたっては1996年まで*1
ずっと外国人頼みが続いた。
全体的に長打力不足も目立ち始めている。
一方、投手陣は斎藤雅樹、桑田真澄、槙原寛己を中心とした
高卒の先発に依存した構成だったが、
育成力に自信があったのか高校生偏重の指名になっている。
3本柱が調子を落とした91年に若田部の抽選を外したとはいえ、
ちょっと極端だ。
この結果がつらいことになった。
野手は松井や元木がいて充分と言えなくもないが、
元木はユーティリティとしては問題ないもののやや物足りないか。
そして吉岡と出口はほぼ移籍後の活躍。
吉岡は95年後半にサードで使われたが結果を出せなかった。
そして投手は高校生が壊滅的。
柏田は8年目のメッツ留学後、10年目からの活躍と台頭したのが遅く、
一軍登板経験者自体9人中3人しかいなかった。
大学生と社会人もリリーフのみで短命である。
次に1993~2002年を見よう。
高投 | 高野 | 大投 | 大野 | 社投 | 社野 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
1993 | 2 | 1 | 1 | 1 | 5 | ||
1994 | 2 | 2 | 1 | 5 | |||
1995 | 2 | 1 | 2 | 1 | 6 | ||
1996 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 6 | |
1997 | 1 | 2 | 1 | 2 | 2 | 8 | |
1998 | 2 | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 | 8 |
1999 | 1 | 1 | 1 | 3 | 1 | 7 | |
2000 | 2 | 2 | 3 | 1 | 8 | ||
2001 | 4 | 1 | 1 | 6 | |||
2002 | 3 | 2 | 2 | 7 | |||
93~02 | 15 | 13 | 11 | 11 | 10 | 6 | 66 |
3位(4巡)以下 | 13 | 12 | 4 | 7 | 6 | 4 | 46 |
上位指名が逆指名と自由枠ばかりだったわりに高校生が多い。
このように3位*2以下は高校生重視の指名で、
投手・野手ともに高校生が半数を超えている。
投手と野手の比率はちょうど半々だ。
結果のほうは、上位指名と3位以下で区切ってみる。
上位指名は高校生が極端に少ないので、
成功選手にも高校生が少ないのは当然の結果だ。
投打ともに長く活躍する主力を何人も輩出しているが、
河原は2年連続での活躍がほぼなかったり、
入来がしばらく先発・リリーフ兼任だったりで、
数字よりも活躍している印象が薄い人は多そうだ。
3位以下はどうだろう。
野手には清水、矢野、鈴木などがいるが、
清水以外は控え要員の感が否めないか。
主力に比べるとどう見てもバッティングが弱く、
ベンチに回さざるを得ないのがわかる。
それでも打席数はそこそこ与えられていた。
小田と加藤は基準では条件を満たさなかったが、
小田は通算での出場試合が多く、
加藤は2006年以降に10~30試合程度出場する年が多かったので
一応載せておいた。
投手は高校生のほうにリリーフの主力が目立つ。
ただ、合計23人獲ったにしては
主力になる選手が少ないように見える。
佐藤が活躍しだしたのはホークス移籍後の10年目。
三沢も2001年にトレードされているから、
2003年頃には投手の数がかなり減っていたことになる。
各年の主力選手を出していないので
ちょっとわかりづらかったかもしれないが、
2000年代中盤の低迷期は結局のところ
慢性的な戦力数不足によるものと考えられる。
それも根本的な点は逆指名やFA制度以前からずっと続いていたものだった。
野手は90年時点で川相、村田真の登場もあったが、
それ以外の高齢化し始めていたポジションは
20代前半で出始めていた緒方耕一や井上真二などが
故障やポジションの兼ね合いもあって伸び悩んだ。
これらの穴は逆指名とFA主体でスタメンは作れたものの、
主力以外の控え選手はほとんど育たず、
主力の故障や高齢化による衰えに対処することはできなかった。
一方の投手はというと、
強みだった先発完投型の投手王国がかえって裏目に出たと言えるだろう。
3本柱に香田勲男、木田優夫、水野雄仁ら高卒投手中心*3の構成だったが、
かなりの少数精鋭だったために
1人でも好調じゃないと代わりが全くいなくなる。
この問題点は1991年の時点ですでに顕在化したうえに、
その後中6日の先発ローテと細かい継投が必要な時代になったことで
先発もリリーフも常に足りなくなった。
それに今挙げた6人の高卒投手のうち5人が1位指名、
なおかつ彼らが全員大成すること自体がむしろ特殊すぎる例だったのだ。
「育成の巨人」の幻想
Bクラスが2年続いた巨人だったが、
2007年からはリーグ3連覇、
2012年から再び3連覇することになる。
先ほどの2002年までの表も踏まえつつ、
2003年以降のドラフトも見ていこう。
高投 | 高野 | 大投 | 大野 | 社投 | 社野 | 高投 | 高野 | 大投 | 大野 | 社投 | 社野 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003 | 2 | 1 | 2 | 1 | 1 | 7 | |||||||||
2004 | 2 | 1 | 2 | 1 | 6 | ||||||||||
2005 | 2 | 4 | 1 | 1 | 1 | 9 | 1 | 1 | |||||||
2006 | 3 | 2 | 1 | 2 | 1 | 9 | 1 | 4 | 1 | 1 | 7 | ||||
2007 | 1 | 2 | 2 | 1 | 6 | 1 | 1 | 1 | 3 | ||||||
2008 | 3 | 2 | 1 | 6 | 1 | 1 | 1 | 1 | 4 | ||||||
2009 | 1 | 1 | 1 | 2 | 5 | 1 | 2 | 1 | 4 | ||||||
2010 | 2 | 2 | 4 | 1 | 1 | 2 | 2 | 2 | 8 | ||||||
2011 | 2 | 1 | 1 | 3 | 7 | 1 | 1 | 1 | 3 | 6 | |||||
2012 | 1 | 1 | 2 | 1 | 5 | 1 | 1 | 2 | |||||||
2013 | 2 | 2 | 1 | 5 | 1 | 1 | 1 | 3 | |||||||
2014 | 1 | 2 | 1 | 4 | 1 | 2 | 1 | 4 | |||||||
03~14 | 16 | 14 | 18 | 9 | 11 | 5 | 73 | 6 | 5 | 4 | 11 | 11 | 5 | 42 | |
22 | 19 | 22 | 20 | 22 | 10 | 115 | |||||||||
04~11 | 17 | 13 | 16 | 14 | 17 | 8 | 85 | ||||||||
12~14 | 3 | 5 | 4 | 5 | 4 | 2 | 23 | ||||||||
2015 | 2 | 2 | 3 | 1 | 8 | 1 | 3 | 3 | 7 | ||||||
2016 | 2 | 1 | 1 | 3 | 7 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 1 | 8 | |||
2017 | 1 | 1 | 2 | 4 | 8 | 3 | 2 | 3 | 8 | ||||||
2018 | 3 | 2 | 1 | 6 | 2 | 2 | 4 |
時々極端なドラフトをすることがあるようだ。
2005、06年は大社の大量指名を敢行し、
なかでも2005年は投手が極端に多い。
その後2008年に本指名で高校生偏重ドラフトをしたかと思えば、
2010、11年は投手偏重。
2012、13年は野手重視になり、
2016年以降は
外れ外れ1位野手から2位以降本指名が全員投手、
外れ外れ1位投手から2位以降本指名が全員野手、
外れ外れ1位大学生から2位以降育成まで全員高校生、
と偏り過ぎにも程があるドラフトが3年続いている。
ただ3年のトータルでは、
高卒投手がやや多い以外はそこそこバランスがとれているか。
結果のほうは2013年まで見ておこう。
まず投手から。
短命な選手や他球団移籍後に活躍しだす選手も多いが、
それなりの結果とは言えるだろう。
特にそれまで大の苦手にしていたリリーフで
長く活躍する選手が出たのが大きかった。
ただし2010年代になると、
2000年代中盤に獲得した投手陣の耐用年数が限界を迎え始め、
次の世代は全体としての数・質がやや低下している。
その結果、現在は越智や山口が出てくる前の
リリーフ難の時代に巻戻ってしまった印象だ。
野手のほうは、ちょっと心して見てほしい。
数も質もいまいちだった。
長野と坂本はかなり良く亀井もまずまずなのだが、
それ以外が何とも言いづらい実績なのだ。
脇谷や松本なんかは一軍でも伸びかけたところで
2011年を迎えて崩れてしまった感もあるが、
2000年代後半が言われるほど育成が成功していなかったのはたしかだ。
2007年以降を支えたのは外部からの補強が主体で、
野手は李承燁、小笠原道大、ラミレスに
谷佳知、木村拓也、古城茂幸などのトレード組が多い。
投手も同様で、グライシンガー、クルーンや
ゴンザレス、バーンサイドといった外国人、
豊田清、藤田宗一、マイケル中村、藤井秀悟のような
移籍選手がわきを固めて数をそろえる陣容だった。
そしてそんな実態の中で
2009年頃から「育成の巨人」の育成のみにシフトしたうえに、
育成された選手という置き土産をたいして残さないまま
清武GMが退団したため、
清武時代と同じような補強が急務なのに
補強をすると当時と違ってこっぴどく叩かれる、
という字面にすると意味不明な時代が訪れてしまった。
長野、澤村、菅野のような逆指名をさせることもさらに困難になり、
それまで坂本の存在や清武氏の宣伝効果などで隠してきた
「育成が特に上手くはいっていなかった巨人」が
徐々に表面化してきたのが近年の「暗黒期」の姿と言えるだろう。
最近になって、
「育成する気がない」と酷評された2017年指名の
大城卓三や若林晃弘が「育成の巨人の復活」と一部で書かれたように、
「育成」や「育成の巨人」自体、
非常にあいまいかつ恣意的な言葉にすぎないのである。