スポーツのあなぐら

主に野球のデータ、ドラフトについて書いていくブログ。更新頻度は気まぐれ

ドラフトの大当たり年・大外れ年を振り返る 楽天編

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基本的な基準

  • 逆指名が導入された1993年以降が対象
  • 大当たり年:大物選手が2人以上、または大物+そこそこ以上の選手2人以上
  • 大外れ年:そこそこの選手が1人以下

要は「ごく一部スター選手で夢を見る」のではなく、
「チームを強くする」ことに主眼を置いている。
ドラフト評論では往々にして
「他9人が大失敗でも1人大物がいれば大成功」とされるが、
超大物が1人だけいても大当たり年にはならない
これは単年に限らず複数年にまたがる話でもある重要なポイントだ。
またここではWARなどの考え方に基づき、
イニングの稼げないリリーフ投手を先発よりやや低く評価している。

大当たり年

2005年

2005E

高校生1巡で片山博視を抽選で獲得し
大量11人の指名を敢行したが
当時は大社多めの独自路線を理由にかなりの低評価。
しかし銀次、青山、草野、片山など
そこそこ以上の成功者を大量に輩出する当たり年になった。
銀次と枡田の一軍定着は7年目で、
本当に高卒偏重指名をして
ドラフト直後は高評価されたとしても
現実のチームはどうなっていたか察することができる。

2006年

2006E

高校生1巡で田中の抽選を当て、
大社1巡は希望枠獲得こそ失敗するも永井を指名。
さらに大社は嶋、渡辺を獲得する驚異的な年だった。

2010年

2010E

塩見と美馬が先発で成長する当たり年。
3位以下の支配下は野手を指名したが
こちらは伸びなかった。

2011年

2011E

岡島と島内がいい働きをしている。
高校生の伸び悩みが痛いが
この2人で大当たり年の基準は満たした。
釜田は一軍起用が早すぎたことでかえってもたついている印象が強い。

大外れ年

2004年

2004E

ドラフト1年目は
捕手以外の野手をポジション別に万遍なく指名したものの
結果は失敗。
自由枠一場は色々言われるだろうが、
やはり2年目に過剰に酷使された感が。

2009年

2009E

戸村、西田、小関が期待されていたが
伸びきらないまま。

競合には勝ったけど

2012年

2012E

1位は広島が公言していた森をくじで引き当て
2位では締切直前にプロ志望届を提出した則本を指名。
則本が1年目からエース格になり大成功と思われたが、
他の選手が全員伸び悩んでしまった。

2013年

2013E

5球団競合した一番人気の松井獲得に成功。
日本一を達成したとはいえ
かなりの投手不足に陥っていた状況もあってか
内田以外は全て投手を指名した。
しかし早くに一軍登板した松井と西宮以外は即戦力と言い難い指名で、
現在他チームの古川と今野も
一軍定着へはもう2ステップ成長がほしい。

総評

楽天のドラフトは「投手偏重」と言われてきたが、
このように当たり年を見ると
投手の成功者が少なく
長打力に課題を残す弱点はあるものの
むしろ野手に当たり選手が多いことがわかる。
その最大の理由は
上位指名こそ投手が多いが
3位以下が野手偏重になっていたためだ。
こうしたドラフト戦略と
比較的くじ運に恵まれた1位指名が続いたことで、
楽天の場合は
長打力を外国人選手に頼る野手陣と
1、2人のエースに頼り切り
ローテ投手とリリーフが全く埋まらない投手陣とが
出来上がることになった。
打線は長・中距離打者候補*1がことごとく伸び悩んだのが痛かったが、
数という点で見ればまだ健闘しているほうだと思う。
最近ようやく達成者が出た生え抜き二桁HRは
守備型の選手やレギュラーに定着できていない選手でも
達成することがある記録なので
単に運がなかっただけとも言えるが。
むしろ深刻だったのは投手陣で、
全体の指名数不足に加えて育てづらい素材型の指名も多かった。
既に則本昂大松井裕樹がいる2012、13年に
当たり年になる気配がまだないことからも
常時人材不足に陥っているのがよくわかる。
大昔のようにエースが先発リリーフ兼任で投げ続けたり
エースが中4、5日で完投、
抑えが2~4イニング投げる時代なら
これでも充分足りていることになるのだが、
現代においてはこれも強さを持続できない要因の一つと言える。
ただいくらか明確な弱点や
過去の教訓の読み間違いなどの問題も抱えていたものの、
特に序盤のドラフト指名は
リーグの中で最低限戦えるチームを作るために
どういう戦略をとるべきなのかを教えてくれたのではなかろうか。

*1:特に高校生